阿武山古墳(藤原鎌足墓) | 場所と地図 – 歴史のあと

阿武山古墳(藤原鎌足墓)

阿武山古墳 古墳
阿武山古墳
ジャンル:古墳/墓・慰霊碑
史跡年代:飛鳥時代
関連タグ:

阿武山古墳(あぶやまこふん)は大阪府高槻市・茨木市にある古墳で、飛鳥時代の有力者であった藤原鎌足の墓であるとされる。

歴史・概略

  • 藤原鎌足(ふじわら・かまたり)は、飛鳥時代中大兄皇子(天智天皇に仕えた人物で、蘇我入鹿を暗殺した事件「乙巳の変」を起こしたうちのひとり。後の藤原氏の基礎を築いたことで知られる。
    他に中臣鎌子(なかとみ・かまこ)中臣鎌足(なかとみ・かまたり)を名乗った。
  • 昭和9年(1934年)、建設工事中に発見された古墳で、埋葬当時には最高のものであったとされる夾紵棺(きょうちょかん)と呼ばれる棺が出土した。中には装飾品と60歳前後の男性人骨が残っており、これらのことから「貴人の墓」として注目を浴びた。
  • 長い間、鎌足の墓はここから南西2キロにある将軍塚であるとされてきた。しかし、当古墳が発見され、その後の出土品の検証が進んだことで、現在はこちらが鎌足の墓と考えられるようになっている。
  • その理由としては、もともと鎌足の墓とされていた将軍塚からもさほど離れていないこと。死亡時の年齢と合致していること。人骨のレントゲン調査から骨折の様子が判明し、これが鎌足死亡時の状況と合致すること。そして、出土した装飾品が織冠(しょっかん)と呼ばれる冠であった可能性があり、織冠を授かった人物が鎌足しかいないことなどがあげられる。

見どころ・おすすめ

  • 阿武山古墳の発見以降は、あまり注目されることはなくひっそりとした印象であるが将軍塚もいっしょにまわるのがおすすめ。

史跡情報

地図
【場所】
大阪府高槻市奈佐原・大阪府茨木市安威
主な施設
墓室・案内板
利用時間
常時
定休日
無休
料金
無料
交通
【バス】
・阪急バス「安威」バス停

【マイカー】
・名神高速「茨木IC」から約5Km
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