兵庫県赤穂市にあった室町時代から江戸時代にかけての城。
江戸時代の赤穂藩(あこうはん)藩庁で加里屋城、大鷹城とも呼ばれる。
歴史・概略
- 享徳年間(1452年~1455年)、播磨赤松氏の家臣であった岡豊前守光広が、加里屋城(かりやじょう)を築城したことに始まる。ただし、当時の加里屋城の正確な場所についてはいろいろな意見があり、こことはまったく別な場所の可能性もある。
- 天正14年(1585年)、生駒親正(いこま・ちかまさ)が入封。
- 天正15年(1586年)、生駒氏が讃岐へ転封となり宇喜多秀家(うきた・ひでいえ)の所領となる。
- 慶長5年(1600年)、「関ケ原の戦い」により宇喜多氏が敗北し改易、後には池田長政(池田輝政の弟)が入った。
- 慶長5年(1600年)、長政が赤穂城の前身となる掻上城(かきあげじょう)を築城。
- 正保2年(1645年)、池田輝興が不祥事で改易(正保赤穂事件)。備中松山藩の一時預かりとなった後浅野長直が入封。
- 慶安元年(1648年)から寛文元年(1661年)、浅野長直により現在見られる赤穂城を築城。このとき赤穂に招いた軍学者山鹿素行(やまが・そこう)などの助言も受けている。
- 元禄14年(1701年)、播州赤穂藩3代藩主・浅野内匠頭長矩(あさの・たくみのかみ・ながより)が江戸城内にて吉良上野介(きら・こうずけのすけ)を切りつける刃傷事件を起こし切腹、浅野氏は改易となった。事件発生後、筆頭家老・大石内蔵助(おおいし・くらのすけ)や家臣たちは赤穂城内で議論し城を明け渡したものの、後に仇であった吉良上野介を討ち取るに至った。
- 元禄15年(1702年)、永井直敬が入封。
- 宝永3年(1706年)、森長直が入封。以降明治に至るまで森氏が藩主を務める。
- 築城:享徳年間(1452年~1455年)
- 廃城:明治6年(1873年)
- 築城主:岡豊前守光広
- 構造:輪郭式・平城
- 主な城主:池田氏・浅野氏・永井氏・森氏
- 日本100名城
史跡情報
地図 |
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【場所】 兵庫県赤穂市上仮屋 |
主な施設 |
石垣・堀・大石神社・大石良雄宅跡 |
利用時間 |
【本丸・二之丸庭園】 9:00~16:30 【それ以外】 常時 |
定休日 |
【本丸・二之丸庭園】 年末年始 【それ以外】 無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「播州赤穂」駅から約1.3km 【マイカー】 ・山陽自動車道「赤穂IC」から約4Km ・駐車場あり |