なびマスター | ページ 2 | 歴史のあと

なびマスター

京跡・宮跡

前期難波宮朝堂院南門跡

いまの大阪城南側一帯に存在した飛鳥時代の古代宮殿跡。 歴史・概略 現在の大阪城の南側、法円坂より奈良時代の遺物が出土し、その後の発掘調査で飛鳥時代と奈良時...
京跡・宮跡

難波宮跡東辺

現在の大阪市中心部にあった飛鳥時代の都・難波宮の跡地。蘇我氏滅亡後の政治改革「大化の改新」が行われた宮として知られる。 歴史・概略 難波宮(なにわのみや)...
京跡・宮跡

難波宮内裏東方遺跡

大阪市中心部にあった古代宮城における役所跡。 歴史・概略 昭和29年(1954年)より本格的な周辺の発掘調査が行われ、飛鳥時代と奈良時代2つの時期の難波宮...
京跡・宮跡

法円坂遺跡・前期難波宮内裏西方官衙

大阪市にある古墳時代および飛鳥時代の建物跡。 歴史・概略 現在大阪歴史博物館とNHK大阪ホールが建っている場所(大阪城の南西、難波宮公園の北西)において古...
京跡・宮跡

高陽院邸跡

平安時代から鎌倉時代にかけての藤原氏の邸宅跡、および里内裏跡。 歴史・概略 高陽院(かやのいん)は平安時代中期の関白・藤原頼通(ふじわら・よりみち/道長の...
邸宅・住居跡

肥前鹿島鍋島藩屋敷跡(京都)

江戸時代、京都の街中に置かれた佐賀藩の支藩のひとつ鹿島藩屋敷跡。 歴史・概略 鹿島藩(かしまはん)は九州北部の肥前国を治めた佐賀藩にあった3つの支藩のひと...
邸宅・住居跡

佐賀鍋島藩屋敷跡(京都)

江戸時代、京都の街中に置かれた佐賀藩の屋敷跡。 歴史・概略 佐賀藩(さがはん)は九州北部の肥前国(現在の佐賀県・長崎県)にあった約35万石の外様藩。藩庁は...
京跡・宮跡

凝花舎(梅壺)・飛香舎(藤壺) 跡

平安京内裏内にあった皇族の屋敷跡。 歴史・概略 延暦13年(794年)、桓武天皇(かんむてんのう)によって長岡京より平安京へ遷都、以来1000年に渡って日...
その他遺跡

瀬田の唐橋

琵琶湖の南を流れ出る瀬田川に架かる橋。 歴史・概略 瀬田の唐橋(せたのからはし)は、現在の滋賀県大津市にある橋で、ほかに勢多大橋や勢多唐橋などとも表される...
京跡・宮跡

飛鳥宮跡(岡本宮・板蓋宮・浄御原宮)

奈良県高市郡明日香村にある飛鳥時代の宮跡。 歴史・概略 飛鳥宮(あすかのみや)跡は、6世紀末から7世紀末にかけて営まれた宮跡。その間、連続して使用されたわ...
寺社

金峯山寺(南朝行宮跡)

奈良県吉野郡吉野町にある金峯山修験本宗(修験道)の本山。京都を脱出した後醍醐天皇が南朝を開いた場所として知られる。 歴史・概略 金峯山寺(きんぷせんじ)...
邸宅・住居跡

細川忠興夫人(ガラシャ)隠棲地

細川忠興の正室・お玉(後の細川ガラシャ)が「本能寺の変」が起こったあとに隠棲した地。 歴史・概略 細川ガラシャは丹後国宮津城主、後の豊前国小倉藩藩主である...
墓・慰霊碑

名和長年公景慕碑

「延元の乱」の戦闘において名和長年が討ち死にしたと伝わる場所。 歴史・概略 名和長年(なわ・ながとし)は伯耆国で海運業を行っていた村上源氏の一族・名和氏の...
城跡

勝龍寺城土塁 空堀跡

勝龍寺城は室町時代から江戸時代初期にかけて京都府長岡京市にあった城。 勝竜寺城・小竜寺城などの字もあてられる。 歴史・概略 延元4年/暦応2年(1339年...
寺社

園城寺(三井寺)

滋賀県大津市にある天台寺門宗の総本山。正式名称は「長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)」で一般的には三井寺(みいでら)として知られる。 7世紀後半に今の滋賀...
京跡・宮跡

三条東殿遺址「平治の乱」勃発の地

平安時代から鎌倉時代にかけての藤原氏の邸宅、および皇族の御所跡。「平治の乱」が勃発するきっかけとなった戦闘が起こった地。 歴史・概略 平安時代中期、ここに...
京跡・宮跡

藤原宮跡

古代の都・藤原京の跡。なかでも都の中心的施設であった藤原宮があった場所。 歴史・概略 藤原京(ふじわらきょう)は、持統天皇8年(694年)から和銅3年(7...
城跡

坂本城址公園(明智光秀居城)

滋賀県大津市にあった城。安土桃山時代、明智光秀が居城としていたことで知られる。 歴史・概略 元亀2年(1571年)、比叡山焼き討ちの実行部隊として武功をあ...
寺社

平等院(藤原道長別邸)

京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの仏教寺院。特に平安時代さながらの景観を見せる鳳凰堂は、10円玉やお札の図柄としても利用されるなど、京都を代表する観光スポットのひ...
邸宅・住居跡

佐賀鍋島藩屋敷跡(京都)

江戸時代幕末期の京都に置かれた佐賀藩屋敷跡。 歴史・概略 佐賀藩(さがはん)は九州北部、肥前の佐賀郡などを領した藩で、藩庁は佐賀城。江戸時代初期の藩主は龍...