京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの仏教寺院。特に平安時代さながらの景観を見せる鳳凰堂は、10円玉やお札の図柄としても利用されるなど、京都を代表する観光スポットのひとつとなっている。
歴史・概略
極楽浄土の思想を取り入れた庭園は浄土庭園と呼ばれ、洛中の法成寺や平泉の毛越寺など平安時代から鎌倉時代にかけて多く作られた。ただ、平安時代に造られた庭・堂宇が残っている場所はほとんどなく、大変貴重な場所となっている。
- 国宝(鳳凰堂・鳳凰像・仏像・壁画など)
- 世界遺産
- 現在はどこの宗派にも属してない単立寺院。
- 平安時代初期、京都から近隣の宇治の地は平安貴族たちの別荘地として利用されてきた。平等院が建てられる前のこの地は嵯峨源氏であった源融や宇多天皇、源重信などが別荘とし、長徳4年(998年)には藤原道長が別荘とし宇治殿と呼ばれた。
- 永承7年(1052年)、道長の子で関白の藤原頼通(ふじわら・よりみち)が、宇治殿を寺院に改めた。
- 天喜元年(1053年)、阿弥陀如来を本尊とする阿弥陀堂(鳳凰堂)を建立。現在みられる鳳凰堂はこのときのもの。当時は鳳凰堂とは呼ばれておらず、江戸時代頃にそう呼ばれるようになったとされる。
ちなみに、この阿弥陀堂は道長の屋敷である土御門第の隣に建立された法成寺(ほうじょうじ)の阿弥陀堂をモデルに建てられたとされている。 - 治承4年(1180年)、以仁王(もちひとおう)が平家打倒を計画し各地の武将に令旨を発したが、計画が露見し準備のないまま挙兵に至った。以仁王と協力者の源頼政は園城寺を脱出し南都に向け逃走を図るが、平等院で平家軍に追いつかれ、頼政は自刃、以仁王は討ち取られた(宇治平等院の戦い)。この挙兵は失敗に終わったが、この戦いが口火となり反平氏の争いが全国に波及、平家は滅亡するに至った(治承・寿永の乱)。
- 建武3年(1336年)、足利尊氏と後醍醐天皇による争い「延元の乱」が起こった際、楠木正成が放った火によって多くの堂宇が焼失。
- 平成6年(1994年)、ユネスコの世界文化遺産(古都京都の文化財)に登録。
見どころ・おすすめ
- 鳳凰堂(阿弥陀堂)-平安時代の姿をそのまま残す建物は平安絵巻そのもの。
- 源頼政の墓-源平合戦において平等院で自刃した源頼政の墓。
- 扇の芝-源頼政が自刃した場所とされる。
- ミュージアム鳳翔館-国宝や重要文化財などの展示を行う博物館。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府宇治市宇治蓮華 【付近の史跡】
[ 北西・約1.3km ] 槇島城跡
[ 北・約4km ] 宇治陵
[ 北・約4km ] 宇治陵32号墳(藤原道長の墓)
[ 北・約4km ] 宇治陵36号墳(藤原基経の墓)
[ 北・約5km ] 藤原道長建立浄妙寺跡
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主な施設 |
鳳凰堂・観音堂・養林庵書院・浄土院・ミュージアム鳳翔館・源頼政の墓 |
利用時間 |
【庭園】 8:30 ~ 17:30 【鳳凰堂】 9:30 ~ 16:10 【ミュージアム鳳翔館】 9:00 ~ 17:00 |
定休日 |
無休 |
料金 |
大人600円・中高生500円・小学生300円 |
交通 |
【電車】 ・京阪電車「宇治」駅から約0.6Km ・JR「宇治」駅から約0.7Km 【バス】 ・京都京阪バス「平等院」「宇治橋西詰」バス停 【マイカー】 ・京滋バイパス「宇治東IC」から約2Km |