邸宅・住居跡 | ページ 2 | 場所と地図 – 歴史のあと

邸宅・住居跡

邸宅・住居跡

西八条第跡(平家一族の邸宅跡)

平安時代末期、権力の座についた平家の頭領・平清盛が京に構えた邸宅跡。 歴史・概略 平氏政権が樹立するきっかけとなった「平治の乱(1159年)」の7年後にあ...
邸宅・住居跡

縣井(京都御苑)

京の名水のひとつ縣井と呼ばれる井戸跡。五摂家のひとつ一條邸跡。 歴史・概略 縣井(あがたい)は染殿井(そめどのい)・左女牛井(さめがい)とともに「京の三名...
邸宅・住居跡

会津藩家老 西郷頼母邸跡

江戸時代末期の会津藩家老・西郷頼母(さいごうたのも)の屋敷跡。 歴史・概略 西郷家は代々会津藩家老を務める家柄で、頼母が家督を継いだ後、藩主の松平容保(ま...
邸宅・住居跡

茶屋四郎次郎邸址

京都の豪商・茶屋四郎次郎の屋敷跡。 歴史・概略 朱印船貿易や大堰川、高瀬川の舟運を行った角倉家、大判の鋳造を行った後藤四郎兵衛家などとともに「京の三長者」...
邸宅・住居跡

吉田泉殿之跡

鎌倉時代の公卿・西園寺公経の屋敷跡。 歴史・概略 西園寺公経(さいおんじ・きんつね)は、藤原氏の一族で平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。鎌倉幕府...
京跡・宮跡

鳥養院跡

平安時代前期の宇多天皇の離宮跡。 歴史・概略 宇多天皇(うだてんのう/867年~931年)は、一度皇籍を離れて源定省(みなもと・さだみ)と称したのち、皇籍...
寺社

御陵衛士屯所跡(月真院)

京都東山にある豊臣秀吉の妻・ねねゆかりの高台寺の塔頭のひとつ。 歴史・概略 元和2年(1616年)、北政所の従弟・久林元昌(玄昌)が津和野藩主・亀井茲政の...
京跡・宮跡

白河南殿跡

平安時代後期、白河上皇によって使用された院御所跡。 歴史・概略 白河天皇(しらかわてんのう)は平安時代後期の第72代天皇で、まだ幼い堀河天皇や鳥羽天皇を即...
邸宅・住居跡

大久保利通旧邸

幕末期の京都にあった大久保利通の邸宅跡。 歴史・概略 大久保利通(おおくぼ・としみち)は倒幕に力を注いだ人物で、倒幕後は内務卿として明治新政府をけん引した...
邸宅・住居跡

本居宣長先生修学之地

江戸時代の国学者・本居宣長の修学地跡。 歴史・概略 本居宣長(もとおり・のりなが)は江戸時代中期の国学者で、古事記や源氏物語を研究し、その成果や様々な論評...
邸宅・住居跡

お龍の実家楢崎家跡

幕末の英雄・坂本龍馬の妻であったお龍の実家・楢崎家があった場所。 歴史・概略 天保12年(1841年)、お龍(おりょう)は楢崎将作(ならざきしょうさく)の...
邸宅・住居跡

藤原定家京極邸址

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公家・藤原定家の屋敷跡。 歴史・概略 藤原定家(ふじわら・ていか/さだいえ)は藤原北家の流れをくむ御子左家(みこひだ...
邸宅・住居跡

西陣舟橋(高師直邸跡)

その昔、ここを流れていた堀川に何艘もの舟を浮かべ、その舟同士を繋いで橋代わりとした舟橋があったといわれる。また、室町時代初期には政権の実力者であった高師直の屋敷...
邸宅・住居跡

水戸藩邸跡(京都)

江戸時代、京都に置かれた水戸藩邸跡。 歴史・概略 水戸藩の石高は28万石、常陸の水戸城を藩庁とする。藩祖は徳川家康の子・頼房で徳川御三家のひとつ。水戸徳川...
京跡・宮跡

持明院仙洞御所跡

平安時代から室町時代にかけて藤原氏の邸宅、および天皇退位後の御所として使われた屋敷跡。 歴史・概略 持明院(じみょういん)は平安時代後期、陸奥守・鎮守府将...
邸宅・住居跡

平清盛終焉推定地・高倉天皇誕生地

平安時代末期、平清盛の側近として活躍した平盛国の邸宅跡(推定地)。この邸内で平清盛が没したとされる。 歴史・概略 碑文 「此付近 平清盛終焉推定地」 「平...
京跡・宮跡

閑院内裏跡

京都府京都市にあった平安時代から鎌倉時代にかけての藤原氏の屋敷、および里内裏跡。 歴史・概略 平安時代初期の公卿・藤原冬嗣(ふじわら・ふゆつぐ)が屋敷を置...
邸宅・住居跡

二条殿御池跡

京都にあった皇族や公家の邸宅跡。安土桃山時代には織田信長の屋敷としても使われ、「本能寺の変」の戦闘が起こった場所でもある。 歴史・概略 この場所は、平安時...
城跡

豊臣秀吉妙顕寺城跡

京都府京都市にあった羽柴秀吉(豊臣秀吉)の屋敷跡。 歴史・概略 天正10年6月2日(1582年6月21日)に起った「本能寺の変」により、織田家臣団の中で権...
邸宅・住居跡

染殿井(京都御苑・藤原良房染殿第跡)

平安時代前期の公卿・藤原良房の屋敷があった場所。 歴史・概略 藤原良房(ふじわら・よしふさ)は平安時代前期の公卿。文徳天皇(もんとくてんのう)の皇位継承に...