邸宅・住居跡 | ページ 7 | 場所と地図 – 歴史のあと

邸宅・住居跡

寺社

若宮八幡宮(河内源氏屋敷)

平安時代、河内源氏累代の邸宅として使われた六条堀川館跡。 歴史・概略 平安時代中期の武将で河内源氏の棟梁・源頼義(みなもとよりよし)が屋敷を構えたことに始...
邸宅・住居跡

新選組最後の洛中屋敷跡

幕末の京都で反幕府勢力の監視や取り締まりなどを行った新選組が置いた3つ目の屯所跡。 歴史・概略 新選組はこの不動堂村に移る以前、ここから数百メートル北に行...
邸宅・住居跡

不動堂村屯所跡(新選組)

幕末の京都で市中警護にあたった新選組の洛中最後の屯所となった不動堂村屯所跡。 歴史・概略 新選組が最初に屯所とした壬生で約2年を過ごし、隊員の増加に伴って...
邸宅・住居跡

左女牛井之跡(河内源氏屋敷)

京の名水のひとつ左女牛井の跡。平安時代に活躍した武将源頼義や源義家ら河内源氏の屋敷跡とされる。 歴史・概略 左女牛井(さめがい)は平安時代より京の名水とし...
邸宅・住居跡

旧前川邸(新選組屯所)

幕末の京都で活躍した新選組が結成当初に屯所として使用した邸宅跡。 歴史・概略 文久3年(1863年)、清河八郎(きよかわ・はちろう)が働きかけ幕府は将軍上...
邸宅・住居跡

八木邸(新選組屯所)

江戸時代末期、京都で倒幕勢力の取り締まりに従事した武装集団・新選組の屯所跡。 歴史・概略 文久3年(1963年)、将軍徳川家茂の上洛警護のため江戸で集めら...
京跡・宮跡

朱雀院跡

平安時代、天皇が譲位後の御所として使用した後院跡。 歴史・概略 朱雀院(すざくいん)は平安京の中央を貫く朱雀大路の西側に作られ、現在の三条通りから四条通り...
京跡・宮跡

淳和院跡

平安時代初期に在位した淳和天皇(じゅんなてんのう)の離宮跡。 歴史・概略 淳和院(じゅんないん)が作られた時期はわかっていないが天皇が即位する前より使われ...
寺社

平清盛公西八条殿跡

平安時代末期、武家政権を打ち立て権勢を誇った平清盛が京に築いた邸宅跡。 歴史・概略 平清盛(たいら・きよもり)は、桓武天皇を祖とする桓武平氏の一族で、伊勢...
邸宅・住居跡

鷹司邸跡(京都御苑)

「禁門の変」の舞台となった鷹司邸があった場所。 歴史・概略 鷹司家(たかつかさけ)は藤原氏五摂家のひとつで関白や太政大臣などの任に就く家柄であった。幕末期...
京跡・宮跡

京都御所(京都御苑)

京都府京都市にある天皇家の御所。明治天皇による東京遷都が行われる以前、数百年もの間ここを御所としていた。 歴史・概略 桓武天皇(かんむてんのう)が平安京に...
京跡・宮跡

土御門第跡(京都御苑・藤原道長邸)

平安時代の中期、権力の座に上り詰め栄華を極めた藤原道長の邸宅跡。 歴史・概略 藤原道長(ふじわら・みちなが)は、平安時代中期の摂政(後一条天皇)・太政大臣...
邸宅・住居跡

福井藩邸跡(京都)

江戸時代、福井藩を治める越前松平氏が京都に置いた藩邸跡。 歴史・概略 福井藩(ふくいはん)は北陸越前国を治めた藩で越前藩とも呼ばれる。藩庁は福井城。 ...
京跡・宮跡

堀河天皇里内裏址

現在の京都市にあった平安時代の藤原氏の屋敷跡、および里内裏跡。(現在は石碑なし) 歴史・概略 京都の観光地のひとつである二条城の西側(現在のHOTEL T...
邸宅・住居跡

紫式部邸宅址(廬山寺・源氏物語執筆地)

京都にある天台圓淨宗の本山。廬山寺(ろざんじ)。紫式部の邸宅跡とされ、源氏物語が書かれた場所ともいわれる。 歴史・概略 紫式部(むらさきしきぶ)の曾祖父で...
京跡・宮跡

冷然院跡

平安時代初期から中期にかけて、天皇の離宮や後院(ごいん)となった冷然院(冷泉院)の跡。 歴史・概略 冷然院(れいぜいいん)の始まりは、平安時代初期に嵯峨天...
邸宅・住居跡

板倉勝重・重宗屋敷跡

江戸幕府初期、京都所司代を務めた板倉勝重・重宗父子の屋敷跡。 歴史・概略 板倉勝重(いたくら・かつしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて徳川家康に...
邸宅・住居跡

聚楽城上杉景勝・直江兼続屋敷跡

京都・聚楽第の武家地。上杉景勝と直江兼続の屋敷があったと考えられている場所。 歴史・概略 天正15年(1587年)、関白となった豊臣秀吉が政務をとる拠点と...
城跡

聚楽城鵲橋旧蹟

豊臣秀吉が関白として政務を執った聚楽第の跡地。 歴史・概略 聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)は、豊臣秀吉が関白としての政務を果たすための拠点として、かつて...
城跡

聚楽第南外濠跡

豊臣秀吉が一時期本拠としていた京都・聚楽第の跡。 歴史・概略 聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)は、関白に就任した豊臣秀吉が、かつての平安京大内裏跡に築城し...