京跡・宮跡前期難波宮朝堂院南門跡京跡・宮跡大阪飛鳥時代 いまの大阪城南側一帯に存在した飛鳥時代の古代宮殿跡。歴史・概略現在の大阪城の南側、法円坂より奈良時代の遺物が出土し、その後の発掘調査で飛鳥時代と奈良時代に営まれた古代都市・難波宮(なにわのみや)の跡であると確認された。大極...
京跡・宮跡難波宮跡東辺京跡・宮跡大阪飛鳥時代 現在の大阪市中心部にあった飛鳥時代の都・難波宮の跡地。蘇我氏滅亡後の政治改革「大化の改新」が行われた宮として知られる。歴史・概略難波宮(なにわのみや)は現在の大阪城南側一帯に645年から793年頃にかけて存在した都。現在は...
京跡・宮跡難波宮内裏東方遺跡京跡・宮跡大阪飛鳥時代 大阪市中心部にあった古代宮城における役所跡。歴史・概略昭和29年(1954年)より本格的な周辺の発掘調査が行われ、飛鳥時代と奈良時代2つの時期の難波宮跡(なにわのみやあと)が発見された。飛鳥時代のものは前期難波宮、奈良時代...
京跡・宮跡法円坂遺跡・前期難波宮内裏西方官衙その他遺跡京跡・宮跡古墳時代大阪飛鳥時代 大阪市にある古墳時代および飛鳥時代の建物跡。歴史・概略現在大阪歴史博物館とNHK大阪ホールが建っている場所(大阪城の南西、難波宮公園の北西)において古墳時代と飛鳥時代の建物跡を発見。古墳時代のものは法円坂遺跡(ほうえんざか...
京跡・宮跡高陽院邸跡京跡・宮跡京都平安時代邸宅・住居跡鎌倉時代 平安時代から鎌倉時代にかけての藤原氏の邸宅跡、および里内裏跡。歴史・概略高陽院(かやのいん)は平安時代中期の関白・藤原頼通(ふじわら・よりみち/道長の長男)がおもな拠点とした屋敷である。ほかに「賀陽院」とも表記される。 ...
京跡・宮跡凝花舎(梅壺)・飛香舎(藤壺) 跡京跡・宮跡京都平安時代 平安京内裏内にあった皇族の屋敷跡。歴史・概略延暦13年(794年)、桓武天皇(かんむてんのう)によって長岡京より平安京へ遷都、以来1000年に渡って日本の首都となった。 平安京京域の北側にあたるこの付近一帯には大内裏(だ...
京跡・宮跡飛鳥宮跡(岡本宮・板蓋宮・浄御原宮)事件京跡・宮跡奈良飛鳥時代 奈良県高市郡明日香村にある飛鳥時代の宮跡。歴史・概略飛鳥宮(あすかのみや)跡は、6世紀末から7世紀末にかけて営まれた宮跡。その間、連続して使用されたわけではなく、造営されてはたびたび遷宮を繰り返し、断続的に使用された。 ...
寺社金峯山寺(南朝行宮跡)京跡・宮跡古戦場奈良奈良時代安土桃山時代室町時代寺社幕末維新平安時代明治時代以降江戸時代鎌倉時代飛鳥時代 奈良県吉野郡吉野町にある金峯山修験本宗(修験道)の本山。京都を脱出した後醍醐天皇が南朝を開いた場所として知られる。歴史・概略金峯山寺(きんぷせんじ)は役小角(えんのおづぬ)によって開かれた修験道の本山である。周辺の山や麓...
京跡・宮跡三条東殿遺址「平治の乱」勃発の地京跡・宮跡京都古戦場平安時代邸宅・住居跡鎌倉時代 平安時代から鎌倉時代にかけての藤原氏の邸宅、および皇族の御所跡。「平治の乱」が勃発するきっかけとなった戦闘が起こった地。歴史・概略平安時代中期、ここには伊予守・藤原済家の邸宅があったとされる。その後、宮内卿・藤原家通や藤原...
京跡・宮跡藤原宮跡京跡・宮跡奈良飛鳥時代 古代の都・藤原京の跡。なかでも都の中心的施設であった藤原宮があった場所。歴史・概略藤原京(ふじわらきょう)は、持統天皇8年(694年)から和銅3年(710年)にかけて使われた都である。 都の規模は5.3km四方あり、こ...
京跡・宮跡高陽院邸跡京跡・宮跡京都平安時代邸宅・住居跡鎌倉時代 平安時代から鎌倉時代にかけての藤原氏の邸宅、および御所跡。歴史・概略高陽院:かやのいん 平安時代初期、この場所には桓武天皇の皇子・賀陽親王(かやしんのう)の邸宅があったとされる。 平安時代中期、関白・藤原頼通(ふじ...
京跡・宮跡大炊御門万里小路殿址京跡・宮跡京都平安時代邸宅・住居跡鎌倉時代 平安時代から鎌倉時代にかけて使われた公卿の邸宅跡、および御所跡。歴史・概略平安時代中期、但馬守・源高房がこの場所で邸宅を営む。屋敷が大炊御門大路(おおいのみかどおおじ)・万里小路(までのこうじ)・冷泉小路(れいぜいこうじ)...
邸宅・住居跡花山院邸跡(京都御苑)京跡・宮跡京都安土桃山時代室町時代寺社幕末維新平安時代江戸時代邸宅・住居跡鎌倉時代 平安時代から明治に至るまで存在した藤原氏の邸宅跡、および御所跡。歴史・概略平安時代中期、清和天皇皇子・貞保親王(870年~924年)が邸宅を構えたことに始まるとされる。 その後、関白・藤原忠平の屋敷となり村上天皇の中宮...
京跡・宮跡二條富小路内裏址(建武の新政 の地)京跡・宮跡京都室町時代邸宅・住居跡鎌倉時代 京都にあった鎌倉時代の公家の邸宅跡、および内裏跡。歴史・概略鎌倉時代中期、藤原氏の一族である西園寺実氏(さいおんじ・さねうじ)が邸宅(冷泉富小路殿)を置いたことに始まる。実氏は幕府とも密接な関係にあった実力者で、後嵯峨天皇...
京跡・宮跡一条院跡京跡・宮跡京都平安時代邸宅・住居跡 平安時代中期の邸宅跡、御所跡。歴史・概略一条院は大内裏北東に隣接した邸宅で、東西2町(今の堀川通あたりまで)を占めていた。この案内の東側に邸宅、西側には大内裏が広がっていた。 平安時代中期の一条天皇のとき大内裏が焼失し...
京跡・宮跡鳥養院跡京跡・宮跡大阪平安時代邸宅・住居跡 平安時代前期の宇多天皇の離宮跡。歴史・概略宇多天皇(うだてんのう/867年~931年)は、一度皇籍を離れて源定省(みなもと・さだみ)と称したのち、皇籍復帰して即位したという変わった経歴を持つ天皇である。近江の佐々木氏をはじ...
京跡・宮跡二条大路末北築地塀地業石(最勝寺跡)京跡・宮跡京都平安時代 平安京の北東・白河に残された平安時代後期のものとみられる築地塀跡。歴史・概略岡崎公園の駐車場建設における発掘調査で、平安時代後期の二条大路末の北側築地塀の基礎であったとみられる地業石が出土、そのまま岡崎公園の一角に復元展示...
京跡・宮跡白河南殿跡京跡・宮跡京都平安時代邸宅・住居跡 平安時代後期、白河上皇によって使用された院御所跡。歴史・概略白河天皇(しらかわてんのう)は平安時代後期の第72代天皇で、まだ幼い堀河天皇や鳥羽天皇を即位させ、自身は白河院と称し後見として政務に携わる院政を始めた。院政はそれ...
京跡・宮跡平安京創始待賢御門跡京跡・宮跡京都平安時代 平安京大内裏の外郭に設けられた門のひとつ待賢門の跡。歴史・概略待賢門(たいけんもん)は平安京大内裏と外とを繋ぐ門のひとつである。大内裏とは天皇の住む内裏や内裏の中心である朝堂院(ちょうどういん)、外国使節の接待や宴を催した...
京跡・宮跡持明院仙洞御所跡京跡・宮跡京都室町時代平安時代邸宅・住居跡鎌倉時代 平安時代から室町時代にかけて藤原氏の邸宅、および天皇退位後の御所として使われた屋敷跡。歴史・概略持明院(じみょういん)は平安時代後期、陸奥守・鎮守府将軍に任ぜられた藤原基頼(ふじわら・もとより)が、屋敷を構えたことに始まる...