古戦場 | ページ 10 | 場所と地図 – 歴史のあと

古戦場

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富士川の戦い(平家越)

治承4年(1180年)に起きた「富士川の戦い」の際、源氏と平氏が対峙した辺りとされ、「平家越」と呼ばれる。 歴史・概略 遡ること二ヵ月前、平家によって伊豆...
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しとどの窟(真鶴)

治承4年(1180年)に勃発した「石橋山の戦い」において敗走した源頼朝が、平家の追撃から身を隠すために潜んだといわれる洞窟。 歴史・概略 この洞窟で追っ手...
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しとどの窟(湯河原)

治承4年(1180年)に起こった「石橋山の戦い」において、平家軍に敗れた源頼朝が追撃から逃れるため、隠れ潜んだといわれる洞窟。 歴史・概略 「平治の乱」の...
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石橋山古戦場(源平合戦)

「治承・寿永の乱(源平合戦)」における戦いのひとつで、「石橋山の戦い」が起こった場所。 歴史・概略 治承4年(1180年)8月、後白河法皇の皇子・以仁王(...
墓・慰霊碑

十七烈士の墓(禁門の変)

「禁門の変」に敗れ敗走し、山崎天王山に立て籠もった尊王攘夷派ら17名の墓。 歴史・概略 元治元年7月19日(1864年8月20日)、「八月十八日の政変」に...
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長篠役設楽原決戦場

天正3年(1575年)、父・武田信玄の跡を継いだ武田勝頼と、織田・徳川連合軍が奥三河の長篠において衝突し、武田軍が大敗を喫した「長篠の戦い」が起こった場所。「長...
城跡

長篠城跡

戦国時代、愛知県新城市にあった城。 歴史・概略 永正5年(1508年)、今川氏と関係が深い菅沼元成(すがぬま・もとなり)によって築城され、菅沼氏の居城となった...
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今川義元本陣跡(桶狭間の戦い)

尾張の小領主に過ぎなかった織田信長が駿河の太守・今川義元を討ち取った、いわゆる「桶狭間の戦い」において義元が本陣を置いていたとされる場所。 歴史・概略 桶...
古戦場

三方ヶ原古戦場

戦国時代末期、西に侵攻を開始した武田信玄とそれを守る隣国の徳川家康との間に起きた戦闘の地。 歴史・概略 信濃を平定し駿河侵攻によって領土の拡大を続ける武田...
古戦場

桶狭間古戦場公園

永禄3年(1560年)、尾張の織田信長が大軍率いる今川義元を討ち取った、いわゆる「桶狭間の戦い」が起こった地。 歴史・概略 駿河、遠江、三河を領する今川軍...
古戦場

八幡原史跡公園(川中島の戦い)

越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄が北信濃で攻防を繰り広げた「川中島の戦い(八幡原の戦い)」の際、この場所に信玄が本陣を置いたとされる。 歴史・概略 「川中島...
寺社

石山本願寺推定地

大阪城の一角、戦国時代の一大勢力であった浄土真宗(一向宗)総本山である石山本願寺があった場所。 歴史・概略 もともとは8世・蓮如(れんにょ)の隠居先として...
古墳

恵解山古墳(明智光秀本陣跡)

京都府長岡京市にある100メートル超の前方後円墳。 歴史・概略 墳形:前方後円墳 長さ:128m(墳丘:78.6m) 高さ:10.4m(推定) 築造...
古戦場

明智光秀本陣跡(境野1号墳)

京都府乙訓郡大山崎町にある前方後円墳。 歴史・概略 墳形:前方後円墳 長さ:58m(後円部:32m) 築造年代:4世紀後半 戦国時代末期、「本...
古戦場

三光神社(大坂の陣)

大阪府大阪市にある神社。 歴史・概略 この付近一帯は「大阪の陣(冬の陣)」の際、真田丸(さなだまる)が置かれたと言われる場所で、徳川方との間で激しい戦闘が...
古戦場

安居神社(真田幸村最後の地)

「大阪の陣」において獅子奮迅の戦いぶりを見せて名を挙げた真田信繁(幸村)終焉の地とされる。 歴史・概略 「大阪冬の陣」よりわずか数か月ののち、豊臣最後の決...
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山崎合戦之地(旗立松)

天正10年(1582年)、「本能寺の変」をきっかけに始まった「山崎の合戦」が起きた場所。 歴史・概略 主君織田信長に対して謀反を起こした明智光秀と、光秀謀...
事件

本能寺跡(織田信長最後の地)

天正10年6月(1582年)、京都本能寺にいた織田信長を配下である明智光秀が急襲したいわゆる「本能寺の変」が起こった。ここは事件が発生した当夜に本能寺が建ってい...
城跡

大阪城公園

大阪府大阪市にある城。 歴史・概略 大阪城(おおさかじょう)は、天正11年(1583年)に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)によって築城され、その後秀吉政権の本拠地とな...