古戦場 | ページ 2 | 場所と地図 – 歴史のあと

古戦場

邸宅・住居跡

二条殿御池跡

京都にあった皇族や公家の邸宅跡。安土桃山時代には織田信長の屋敷としても使われ、「本能寺の変」の戦闘が起こった場所でもある。 歴史・概略 この場所は、平安時...
京跡・宮跡

白河北殿跡

平安時代後期に使用された白河上皇の院御所跡。後の「保元の乱」の戦闘が起こった場所のひとつ。 歴史・概略 白河天皇(しらかわてんのう)は平安時代後期の天皇で...
邸宅・住居跡

伏見長州藩邸跡

江戸時代、長州藩が京都伏見に置いた藩邸跡。 歴史・概略 伏見の町は、豊臣秀吉が築城した伏見城の城下町が形成されて以降、京都の中心部と大阪とを結ぶ物流の要衝...
寺社

御香宮神社

京都市伏見にある神社。「鳥羽・伏見の戦い」における戦地のひとつ。 歴史・概略 元々の名称は御諸神社。創建年代は不明。 貞観4年(862年)、境内より水が...
寺社

「鳥羽・伏見の戦い」会津藩駐屯地跡(伏見御堂)

京都市伏見にある浄土真宗大谷派の寺院。「鳥羽・伏見の戦い」における戦地のひとつ。 歴史・概略 慶長年間(1596年~1615年)、徳川家康の寄進を受け、東...
その他遺跡

伏見奉行所跡

旧幕府軍と新政府軍が戦った「鳥羽・伏見の戦い」における激戦地のひとつ。 歴史・概略 伏見は江戸幕府の直轄領で、伏見奉行は幕府が各地に置いた遠国奉行のひとつ...
古戦場

伏見口の戦い激戦地跡

旧幕府軍と新政府軍が戦った「鳥羽・伏見の戦い」における激戦地。 歴史・概略 慶応3年10月14日(1867年11月9日)、将軍徳川慶喜が倒幕の動きを牽制す...
城跡

木幡山伏見城跡

京都府京都市にあった安土桃山時代から江戸時代初期の平山城。 歴史・概略 大阪と京都を水運で結ぶ伏見の地に豊臣秀吉が築城した城。「関ケ原の戦い」の際には激しい戦...
古戦場

真田幸村緒戦勝利之碑(大坂の陣)

「大阪の陣」における真田幸村の戦勝碑。 歴史・概略 慶長19年(1614年)、豊臣方と徳川方の衝突が決定的となり、豊臣方の本拠地・大阪城を中心に「大阪冬の...
その他遺跡

大山崎の東黒門跡(山崎の合戦)

京都と大阪の中間点・大山崎集落にあった東黒門の跡。 歴史・概略 ここには古くより幹線道路として使われた西国街道が通っており、街道に沿って宿屋などが立ち並ん...
城跡

真田幸村出丸城跡(心眼寺・大坂の陣)

「大阪の陣」において、大坂方の真田幸村が徳川勢に対抗するため築いた真田丸跡。 歴史・概略 慶長19年(1614年)、豊臣氏と徳川氏の関係悪化に伴い、大阪城...
城跡

野田城跡(石山合戦・大坂の陣)

大阪府大阪市にあった戦国時代後期の城。正確な位置や縄張りなどの情報がほとんどなく、幻の城とも呼ばれている。 歴史・概略 享禄4年(1531年)、備前国・美...
城跡

野田城跡(石山合戦・大坂の陣)

大阪府大阪市にあった戦国時代の城。情報があまりにも少ないため幻の城とも呼ばれている。 歴史・概略 享禄4年(1531年)、備前国・美作国・播磨国の戦国大名...
古戦場

手越河原古戦場跡(延元の乱)

建武政権を離脱した足利軍と、後醍醐天皇の命を受けた新田軍の合戦の地。「延元の乱」で行われた合戦のひとつ。 歴史・概略 「延元の乱(えんげんのらん)」とは...
京跡・宮跡

凝華洞跡(京都御苑)

京都守護職・松平容保が仮の宿舎とした凝華洞の跡。 歴史・概略 凝華洞(ぎょうかどう)は京都御所のすぐ南にあった屋敷で、江戸時代初期、後西天皇(ごさいてんの...
墓・慰霊碑

名和長年公殉節所(延元の乱)

後醍醐天皇を支えたひとり名和長年の戦死の地。 歴史・概略 名和長年(なわ・ながとし)は、後醍醐天皇を支えた忠臣のひとり。元は伯耆国の豪族で、隠岐に流された...
城跡

将軍山城跡

京都府京都市にあった戦国時代の山城。 ほかに北白川城、瓜生山城、勝軍地蔵山城などとも呼ばれる。 歴史・概略 永正17年(1520年)、室町幕府管領・細川高...
古戦場

水飲対陣之跡(延元の乱)

室町幕府草創期の争乱「延元の乱」における古戦場のひとつ。 歴史・概略 「延元の乱(えんげんのらん)」とは、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒したのちに主導した「建武...
邸宅・住居跡

花の御所石敷き(幕府将軍室町第)

室町時代、足利将軍家が居所としていた室町殿の跡。室町幕府の名の由来ともなっており、「花の御所」とも呼ばれる。 歴史・概略 その敷地は東は烏丸通から西は室...
城跡

船岡山城跡

京都府京都市にあった山城。船崗山城、山名城とも呼ばれる。 歴史・概略 築城:応仁元年(1467年) 廃城:応仁2年(1468年) 築城主:大内政弘 ...