幕末の京都で市中警護にあたった新選組の洛中最後の屯所となった不動堂村屯所跡。
歴史・概略
- 新選組が最初に屯所とした壬生で約2年を過ごし、隊員の増加に伴って西本願寺へと移った。しかし、西本願寺での隊士らの行動は目に余るものがあったようで、西本願寺からなかば追い出されるようにして不動堂村屯所へ移った。隊士らを追い出す代わりに費用は西本願寺が出し、新たに作られた屋敷は大名屋敷のような豪華な屯所であったという。
- しかし、移って間もなく大政奉還、王政復古の大号令と情勢が大きく変化し、わずか半年で役目を終えた。かつての屯所跡には「事あらばわれも 都の村人となりて やすめん皇御心」という近藤勇の碑が立っている。
【新選組のおもな出来事】
年号 | おもな出来事 |
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文久3年(1863年) | ・浪士組を結成し上洛 【屯所】壬生(八木邸・前川邸) ・壬生浪士組となる ・芹沢鴨暗殺 ・新選組となる |
元治元年(1864年) | ・池田屋事件 ・禁門の変 |
元治2年(1865年) | ・ぜんざい屋事件 ・山南敬助切腹 【屯所】西本願寺 |
慶応2年(1866年) | ・三条制札事件 |
慶応3年(1867年) | ・伊東甲子太郎らが脱退し御陵衛士を結成 【屯所】不動堂村 ・大政奉還 ・油小路事件 ・天満屋事件 ・王政復古の大号令 【屯所】伏見奉行所 ・近藤勇が御陵衛士の襲撃を受け負傷 |
慶応4年(1868年) | ・戊辰戦争 ・近藤勇処刑 |
明治2年(1869年) | ・土方歳三戦死 ・戊辰戦争終結 |
見どころ・おすすめ
- この東側にも不動堂村屯所跡碑が立てられている。
- ここから北に進んだ七条通の北側には、不動堂村移転の前に新選組が屯所としていた西本願寺がある。
- 周辺には油小路事件の現場となった本光寺や天満屋事件の現場となった中井正五郎殉難地など新選組がかかわった場所があるので行ってみるといい。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市下京区堀川通塩小路下る 【付近の史跡】
[ 北東・約0.2km ] 伊東甲子太郎外数名殉難之跡
[ 東・約0.2km ] 新選組最後の洛中屋敷跡
[ 北西・約0.6km ] 西本願寺
[ 西・約0.6km ] 西八条第跡(平家一族の邸宅跡)
[ 北・約0.6km ] 中井正五郎殉難地
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「京都」駅から約0.5Km ・地下鉄「京都」駅から約0.5Km ・近鉄「京都」駅から約0.7Km 【バス】 ・市バス「八条油小路」「七条堀川」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約4Km |