大分県大分市にあった城。
江戸時代の府内藩庁。大分城、荷揚城(にあげじょう)、白雉城(はくちじょう)とも呼ばれる。
歴史・概略
- 慶長2年(1597年)、豊臣秀吉の家臣・福原直高が入封。築城を開始し名を荷揚城とした。
- 慶長4年(1599年)、荷揚城が完成。
- 慶長4年(1599年)、早川長政が入封。
- 慶長6年(1601年)、竹中重利が入封し荷揚城を改修。
- 慶長12年(1607年)、大改修が完了。
- 寛永11年(1634年)、竹中氏が改易となり、日根野吉明が入封。
- 明暦2年(1656年)、日根野氏が廃絶。
- 万治元年(1658年)、松平忠昭(大給松平氏)が入封。以降、明治に至るまで松平氏が藩主を務めた。
- 寛保3年(1743年)、大火により主要な建物が焼失。
- 築城:慶長2年(1597年)
- 廃城:明治5年(1872年)
- 築城主:福原直高
- 構造:平城・梯郭式
- 主な城主:竹中氏、日根野氏、大給松平家
- 日本100名城
史跡情報
地図 |
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【場所】 大分県大分市荷揚町 |
主な施設 |
石垣・土塀・堀・宗門櫓・人質櫓・多聞櫓門 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「大分」駅から約1km 【マイカー】 ・大分自動車道「大分IC」から約4Km ・駐車場あり |