木幡山伏見城跡 | 場所と地図 – 歴史のあと

木幡山伏見城跡

伏見城模擬天守 城跡
伏見城模擬天守

京都府京都市にあった安土桃山時代から江戸時代初期の平山城。

歴史・概略

大阪と京都を水運で結ぶ伏見の地に豊臣秀吉が築城した城。「関ケ原の戦い」の際には激しい戦闘も行われた。先に築城された指月伏見城(しげつふしみじょう)と区別するため、木幡山伏見城とも呼ばれる。他に桃山城とも呼ばれる。

  • 築城:文禄5年(1596年)
  • 廃城:元和9年(1623年)
  • 築城主:豊臣秀吉
  • 構造:梯郭式・平山城
  • 主な城主:豊臣氏・徳川氏
  • 文禄5年(1596年)、それまで豊臣秀吉が居城としていた指月伏見城が慶長伏見地震によって壊滅的な被害を受けたため、そこから少し離れた木幡山(こはたやま)に新たな城の築城を開始。
    その際、指月伏見城のかなりの部分が再利用され工事は急ピッチで進められた。
  • 慶長2年(1597年)、伏見城が完成。
  • 慶長3年(1598年)、秀吉が伏見城内で死去。
  • 慶長5年(1600年)、関ケ原の戦い」の前哨戦として、西軍が徳川家の家臣・鳥居元忠が守る伏見城を攻撃し、1か月以上の戦いの末に落城。この戦いで建物のほとんどが焼失したと思われる。
  • 慶長6年(1601年)、徳川家康により、伏見城の再建が開始。普請奉行は城造りの名人として知られる藤堂高虎
  • 慶長8年(1603年)、家康が、伏見城内で将軍宣下を受ける。この時をもって江戸幕府の開始とされる。
  • 慶長10年(1605年)、徳川秀忠が、伏見城内で将軍宣下を受ける。
  • 元和9年(1623年)、徳川家光が、伏見城内で将軍宣下を受ける。
  • 元和9年(1623年)、廃城。これ以後、伏見奉行所の管理下に置かれ幕末まで立ち入りが制限された。
  • 本丸跡付近は明治天皇陵となっており、現在立ち入りが禁止されている。
  • 花畑曲輪跡には、遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」の施設として、徳川時代の天守をモデルにした模擬天守が建てられた。しかし、現在は遊園地が閉園してしまったため、天守への立ち入りはできない状況となっている。

見どころ・おすすめ

  • 模擬天守は現在立ち入り禁止となっており、外から眺めることしかできない。
  • 周辺の伏見城遺構としては、北堀跡と言われる北堀公園や伏見城武家地 黒田長政下屋敷跡参考地、桃山東小学校内の復元石垣などがあり、御香宮神社の表門は伏見城大手門の移築とされているので、そちらも覗いてみるといい。
  • JR桃山駅近くには、木幡山伏見城が築城される以前に使用された指月伏見城の遺構が残されているので、そちらも見てみるといい。

史跡情報

地図
【場所】
京都府京都市伏見区桃山町大蔵
【付近の史跡】
[ 西・約0.2km ] 桓武天皇 柏原陵
[ 西・約1km ] 御香宮神社
[ 南西・約1.2km ] 指月伏見城跡
主な施設
移築門・石垣・水堀・土橋・天守台・模擬天守
利用時間
【伏見桃山城運動公園】
4月 ~ 9月 6:00 ~ 19:00
10月~ 3月 7:00 ~ 17:00
定休日
無休
料金
無料
交通
【電車】
・JR「桃山」駅から約1.3Km
・近鉄電車「近鉄丹波橋」駅から約1.1Km
・京阪電車「丹波橋」駅から約1.3Km

【マイカー】
・名神高速「京都南IC」から約4Km
・駐車場あり(伏見桃山城運動公園)
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