安土桃山時代の一時期、京都府京都市にあった幻の城。
歴史・概略
豊臣秀吉の隠居城で、京都と大阪を結ぶ要衝である伏見の地に築城された。後に築城された木幡山伏見城(こはたやまふしみじょう)と区別するため、指月伏見城(しげつふしみじょう)と呼ばれる。
築城から廃城まで数年という短い期間であったため、資料がほとんどなく実在も疑われる幻の城とされてきた。だが、平成27年(2015年)に指月城の遺構が確認され、初めて実在が確認された。
- 築城:文禄元年(1592年)
- 廃城:文禄5年(1596年)
- 築城主:豊臣秀吉
- 構造:不明
- 主な城主:豊臣秀吉
- 指月(しげつ・しづき)の地は、伏見桃山丘陵の南西に位置する小丘陵で、古くより巨椋池を望む風光明媚な観月の名所として知られたという。平安時代中期の貴族・橘俊綱(たちばな・としつな)が伏見山荘を造営し、その後も院御所として利用されてきた歴史がある。
- 文禄元年(1592年)、豊臣秀吉がこの年の前年、豊臣秀次に関白とともに聚楽第を譲ったため隠居屋敷として建築を開始した。
- 文禄3年(1594年)、隠居屋敷を大規模に改修。
- 文禄5年(1596年)、「慶長伏見地震」により京都・大坂に多大な被害が発生。伏見城でも天守が倒壊するなどほぼ壊滅状態となり、城内だけでも600人以上の死者を出したという。
- 文禄5年(1596年)、秀吉は比較的被害の少なかった伏見城南側すぐの向島城を仮の拠点とする。その後木幡山(こはたやま)に新たに築城を開始(木幡山伏見城)、工事は急ピッチで進められ翌年には再び居を移した。築城の際、指月伏見城の建物が再利用されたとみられる。
見どころ・おすすめ
- 出土した石垣が復元展示されている。
- この城の後に築城された木幡山伏見城跡も近いので、そちらと一緒に回るといい。
- この少し北側(松平筑前公園付近)で堀や土塁などの跡が確認され、足利義輝・義昭に仕えた幕臣・三淵藤英時代の伏見城であるとされている。ただし、石碑や案内のようなものは一切ない。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市伏見区桃山町泰長老 【付近の史跡】
[ 東・約0.3km ] 光明天皇・崇光天皇 大光明寺陵
[ 西・約0.4km ] 伏見奉行所跡
[ 北西・約0.5km ] 御香宮神社
[ 南・約0.7km ] 向島城本丸址
[ 西・約0.8km ] 「鳥羽・伏見の戦い」会津藩駐屯地跡(伏見御堂)
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主な施設 |
復元石垣・案内板 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「桃山」駅から約0.4Km ・京阪電車「観月橋」駅から約0.5Km ・近鉄電車「桃山御陵前」駅から約0.7Km 【バス】 ・市バス「桃陵団地前」バス停 ・近鉄バス「桃陵団地前」バス停 ・京阪バス「観月橋北詰」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約6Km |