平安時代末期に在位した後白河天皇の陵墓。
歴史・概略
- 鳥羽上皇の第四皇子として生まれ、皇位継承とは無縁な立場で歌に踊りに明け暮れたといわれている。しかし弟の近衛天皇が急死すると、後白河天皇の子で美福門院(鳥羽天皇皇后)の養子となっていた守仁親王(二条天皇)を即位させる間の中継ぎとして29歳で即位した。
- 保元元年(1156年)、鳥羽法皇の崩御によって崇徳上皇と後白河天皇の間で「保元の乱」が勃発、天皇側が勝利し崇徳上皇は讃岐に配流された。
- 平治元年(1160年)、今度は譲位した二条天皇と後白河上皇の間で対立が深まり「平治の乱」が勃発、平清盛による平氏政権が誕生することとなった。
- 永暦元年(1160年)、後白河上皇は焼失した御所に代わる拠点として法住寺殿を造営。
- 寿永2年(1183年)、法住寺合戦により法住寺殿が消失し、御所を長講堂に移した。
- 建久3年(1192年)、上皇が崩御。上皇の崩御後ゆかりの深い法住寺殿跡地を御陵とした。
見どころ・おすすめ
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市東山区三十三間堂廻り 【付近の史跡】
[ 西・約0.1km ] 法住寺殿蹟
[ 西・約0.1km ] 三十三間堂(蓮華王院)
[ 北・約0.5km ] 大仏殿跡緑地公園(京の大仏)
[ 北・約0.5km ] 方広寺(京の大仏)
[ 北西・約0.5km ] 耳塚(文禄・慶長の役)
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主な施設 |
法住寺陵 |
利用時間 |
常時(御陵は立ち入り禁止) |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・京阪電車「七条」駅から約0.5Km 【バス】 ・市バス「博物館三十三間堂前」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約6Km |