「治承・寿永の乱(源平合戦)」において木曽義仲が挙兵した際、平家打倒の祈願をしたという神社。以後、「旗挙八幡宮(はたあげはちまんぐう)」と呼ばれるようになった。
歴史・概略
- 治承4年(1180年)、以仁王(もちひとおう)が平家追討の令旨を全国の武将に発し、この辺りに居を構えていた木曽義仲(源義仲・当時27歳)が、およそ1000騎を従えて打倒平家の兵を挙げた。
- この神社のご神木である社殿脇に立つ大ケヤキの古木の樹齢は、およそ800年とされており、丁度その頃に植えられたものとされている。
- 木曽義仲に関わるおもな出来事
1154年 源義賢の次男として生まれる
1155年 「大蔵合戦」で源義朝により父・義賢が討たれる
1180年 以仁王が平家追討の令旨を出す
1180年 挙兵
1180年 市原合戦
1181年 横田河原の戦い
1183年 倶利伽羅峠の戦い
1183年 入京
1184年 宇治川の戦い
1184年 粟津の戦いで討死
史跡情報
地図 |
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【場所】 長野県木曽郡木曽町日義 |
主な施設 |
八幡宮・木曽義仲公館跡碑 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「宮ノ越」駅 |