静岡県浜松市にあった城。江戸時代の浜松藩藩庁。
歴史・概略
室町時代、今川氏によって築かれた曳馬城(ひきまじょう)が始まりとされる。
その後、徳川家康の領地となり、それまで拠点としていた岡崎城を嫡男の松平信康に譲り家康は曳馬城へと居城を移した。その際、武田氏の侵攻に備えるための拠点として家康によって改修され、浜松城に名を改めた。このとき家康29歳、以降45歳までの17年間を本拠とした。 家康が生まれた岡崎城(愛知県岡崎市)
家康の浜松城時代に起きた「三方ヶ原の戦い」では、甲斐の武田信玄に大敗北を喫し、まさに存亡の危機ともいえる状況に陥った。
徳川領に侵攻してくる信玄に対して家康は籠城戦を想定していたが、家康の守る浜松城の前を信玄は無視して素通りするという行動に出た。この動きを好機ととらえた家康は浜松城を打って出たが、信玄は反転しこれを迎え打った。結果、徳川軍は敗北し家康も討死に寸前まで追い詰められた。
その後、なんとか浜松城へと逃げ帰った家康はすべての城門を開き、篝火(かがりび)をたいて相手の警戒心を煽る「空城の計」によってかろうじて危機を脱したとわれている。 信玄に大敗北を喫した三方原古戦場碑(静岡県浜松市)
家康の生涯の中で最大の敗戦となった。
- 築城:永正年間(1504年 ~ 1520年)?
- 廃城:明治4年(1871年)
- 築城主:今川貞相?
- 構造:梯郭式・平山城
- 主な城主:飯尾氏・徳川氏・堀尾氏・松平氏・井上氏・水野氏
- 永正年間(1504年 ~ 1520年)、今川氏により曳馬城築城
- 元亀元年(1570年)、徳川家康が岡崎城より居城を移す
- 元亀3年(1573年)、三方ヶ原の戦い
- 天正3年(1575年)、長篠の戦い
- 天正10年(1582年)、武田氏滅亡
- 天正10年(1582年)、本能寺の変
- 天正14年(1586年)、家康が駿府城へと居城を移す
史跡情報
地図 |
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【場所】 静岡県浜松市中区元城町 【付近の史跡】
[ 北西・約1km ] 犀ヶ崖古戦場
[ 北西・約1.1km ] 夏目次郎左衛門吉信の碑(三方ヶ原の戦い)
[ 西・約2km ] 太刀洗池(築山御前終焉・信康事件)
[ 北・約9km ] 三方ヶ原古戦場
[ 北・約10km ] 根洗松(三方ヶ原の戦い)
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主な施設 |
天守閣(資料館)・中央芝生広場・日本庭園 |
利用時間 |
【天守閣】 8:30 ~ 16:30 公園内は常時 |
定休日 |
【天守閣】 年末年始 公園内は無休 |
料金 |
【天守閣】 大人200円 中学生以下無料 公園内は無料 |
交通 |
【電車】 ・遠州鉄道「遠州病院」駅から約1Km 【バス】 ・バス「浜松城公園入口」バス停 【マイカー】 ・東名高速「三方原IC」から約6Km ・駐車場あり |