京都と大阪の中間点・大山崎集落にあった東黒門の跡。
歴史・概略
- ここには古くより幹線道路として使われた西国街道が通っており、街道に沿って宿屋などが立ち並んでいた。そして西の端に西黒門、東の端に東黒門を設け、集落の治安維持をはかった。
- 戦国時代末期、羽柴秀吉と明智光秀が戦った「山崎の合戦」の際には、秀吉軍の先鋒としてやってきた高山右近の軍と明智軍が、この東黒門を巡って戦いが始まったともいわれている。
- 「山崎の合戦」前後の出来事
<天正10年>
6月 2日 本能寺の変
6月 6日 秀吉、備中高松城より引き上げ(中国大返し)(日付は諸説あり)
6月13日 山崎の合戦
6月13日 光秀、戦いに敗れ勝龍寺城へ帰城
6月13日 光秀、坂本城へ逃げる途中で絶命
6月14日 坂本城落城
6月15日 安土城本丸焼失
6月27日 清須会議
見どころ・おすすめ
- 山崎から歩くと街道の様子が感じられる。また、ちょうど門のあった辺りで道路が少し変形しているのも分かる。
- 山崎から長岡京にかけて周辺には「山崎の合戦」に関連する史跡が点在しているので、同時に回るのがおすすめ。1日で全部を回り切るのは結構大変かもしれないが、合戦のスケール感が掴める。
- 天王山中腹の旗立松からは合戦場所周辺を俯瞰して見ることができる。
関連動画
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史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府乙訓郡大山崎町大山崎堀尻 【付近の史跡】 [ 南・約0.3km ] 山崎津跡 [ 西・約0.5km ] 山崎合戦之地(旗立松) [ 西・約0.6km ] 十七烈士の墓(禁門の変) [ 西・約0.8km ] 宝積寺(山崎の戦い・禁門の変) [ 北東・約0.9km ] 山崎合戦古戦場(山崎の戦い) |
主な施設 |
高瀬川清兵衛石碑・石敢当・案内板 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「山崎」駅から約1.2Km ・阪急「大山崎」駅から約1Km 【バス】 ・阪急バス「大山崎町役場前」「山崎聖天前」バス停 【マイカー】 ・名神高速「大山崎IC」から約1Km |