平安時代、政治権力の中枢に君臨し続けた藤原氏の邸宅跡、および御所跡。
歴史・概略
- 東三条殿(ひがしさんじょうどの・とうさんじょうどの)は、平安時代初期から後期にかけて藤原摂関家当主や皇族の御所として使われた邸宅跡で、東三条院とも呼ばれる。
- 平安時代初期、藤原氏として初めて摂政に就き、その後の藤原氏隆盛の基礎を作った藤原良房が、ここに屋敷を置いたことに始まったとされる。以降、忠平や兼家など藤原摂関家に受け継がれた。天皇家に深く結びついていた藤原氏は、娘たちを天皇家に嫁がせ、兼家の娘・超子は居貞親王(おきさだしんのう/後の三条天皇)、同じく兼家の娘・詮子は懐仁親王(やすひとしんのう/後の一条天皇)をここで産んでいる。
屋敷の名前から兼家は東三条殿、詮子は東三条院と称された。 - 平安時代末期には皇位継承を巡って、崇徳上皇と後白河天皇との間で対立が激化するに至った。
保元元年(1156年)、崇徳上皇側についていた藤原頼長の屋敷であった東三条殿に兵を集め、この計画を知った後白河天皇側の勢力によって接収された。このことによって一気に戦闘へと発展し「保元の乱(ほうげんのらん)」が発生した。
乱の後、屋敷は忠通のものとなり、一時期後白河天皇や二条天皇の里内裏ともなっている。 - 仁安元年(1166年)、火災により焼失。これ以後、再建されることはなかった。
見どころ・おすすめ
史跡情報
地図 |
---|
【場所】 京都府京都市中京区押小路通釜座 【付近の史跡】
[ 西・約0.1km ] 閑院内裏跡
[ 西・約0.2km ] 豊臣秀吉妙顕寺城跡
[ 南東・約0.2km ] 肥前鹿島鍋島藩屋敷跡(京都)
[ 東・約0.2km ] 二条殿御池跡
[ 南・約0.3km ] 高松殿跡
|
主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「烏丸御池」「二条城前」駅から約0.4Km 【バス】 ・市バス「新町御池」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約7Km |