甲斐の武田信玄が晩年行った織田・徳川領侵攻(西上作戦)における古戦場のひとつ。
歴史・概略
- 元亀3年(1572年)、本願寺や越前朝倉氏、比叡山延暦寺など反信長(信長包囲網)の動きに同調した信玄は、織田・徳川領への侵攻を開始、三河・遠江の諸城を次々と落としていった。対する徳川家康は武田軍の下へと出陣、先行していた本多忠勝、内藤信成らが武田軍と遭遇し戦闘が発生した。
武田軍は撤退する先発隊を追撃、徳川軍も撤退を決め、この撤退を助けるため本多忠勝と大久保忠佐らが一言坂で武田軍を迎え打ち徳川軍は撤退を果たすことができた。 - 「三方ヶ原の戦い」前後の出来事
元亀3年(1572年)9月 武田軍が徳川領へ侵攻/10月 木原畷・三ケ野坂・一言坂の戦い/10月~12月 二俣城の戦い/10月 仏坂の戦い/12月 上村合戦/12月 三方ヶ原の戦い・犀ヶ崖の戦い/元亀4年(1573年)1月~2月 野田城の戦い/2月 武田軍撤退/4月 信玄死去
見どころ・おすすめ
- この場所の東側には、この一連の撤退戦において戦場となった木原畷(きはらなわて)古戦場・三ケ野坂(みかのざか)古戦場がある。
施設データ
地図 |
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住所:静岡県磐田市一言
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「磐田」駅から約2Km 【バス】 ・遠州鉄道「一言」「磐田警察前」バス停 【マイカー】 ・東名高速「磐田IC」から約4Km |