京都東山にある豊臣秀吉が建立した天台宗寺院。
歴史・概略
- 天下統一を目前にした秀吉が大仏の造立を発願、その後数年をかけ文禄4年(1595年)に完成した。このとき大仏を安置するための寺として建てられたのが方広寺で、当時は広大な敷地を持ち三十三間堂も寺域に含まれていたという。
- 大仏は約19メートルあり、奈良の東大寺大仏よりも大きかったが、文禄5年閏7月13日(1596年9月5日)に発生した慶長伏見地震によって倒壊した。このことに秀吉は大いに激怒したといわれている。
- 秀吉の死後も豊臣家の保護を受けたが、豊臣秀頼の寄進によって造られた梵鐘の銘文が問題となって「大阪の陣」に発展、豊臣家滅亡のきっかけとなった。
見どころ・おすすめ
- 梵鐘-「大阪の陣」のきっかけとなった梵鐘。「国家安康」「君臣豊楽」の銘文が今も残る。
- 大仏殿石垣-方広寺から豊国神社、京都国立博物館にかけて、かつての大仏殿石垣が残る。
- 方広寺裏手には大仏殿跡地があるので、立ち寄ってみるといい。
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史跡情報
地図 |
---|
場所:京都府京都市東山区正面通大和大路東入る |
主な施設 |
大仏殿石垣・梵鐘 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・京阪電車「七条」駅から約0.6Km 【バス】 ・市バス「博物館三十三間堂前」「五条大和大路」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約6Km ・駐車場あり |