京都市にある豊臣秀吉の墓所。
歴史・概略
- 豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)。木下藤吉郎・羽柴秀吉・藤原秀吉。
- 近江長浜城主・播磨姫路城主・摂津大阪城主。
- 関白・太政大臣。
- 木下弥右衛門の子(諸説あり)。母は「なか」(大政所)。
- 兄弟に豊臣秀長・智(とも・日秀尼)・朝日姫(徳川家康室)。
- 子に鶴松・秀頼など。養子として秀次・秀勝(於次丸)・秀勝(小吉)など。
- 尾張統一前より織田信長に仕え、重臣のひとりとして活躍し城持ちにまで出世を果たした。「本能寺の変」後は、織田家臣団の勢力争いに打ち勝って天下人になった。
- 慶長3年8月18日(1598年9月18日)、伏見城において死去。遺骸は方広寺東側の阿弥陀ヶ峰に埋葬、社殿を建て豊国大明神として祀られた。
- 豊臣家の滅亡後は、徳川家によって社殿が破壊され、秀吉を神として祀ることが禁止された。
- 明治8年(1875年)、徳川の時代は終わり、明治天皇によって秀吉の功績が認められ再び社殿が建てられる。
- 明治30年(1897年)、阿弥陀ヶ峰山頂に五輪塔が建てられる。翌年、工事の際に秀吉とみられる遺体が発見され、丁重に埋葬しなおされた。
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京都にある豊臣秀吉の墓所・豊国廟を散策始まりから江戸時代の消された時代、そして現在に至る豊国廟の歴史をご紹介#豊臣秀吉#歴史#京都
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市今熊野北日吉町 【付近の史跡】
[ 北東・約0.4km ] 六条天皇陵・高倉天皇陵
[ 西・約1.1km ] 後白河天皇 法住寺陵
[ 西・約1.2km ] 法住寺殿蹟
[ 西・約1.2km ] 大仏殿跡緑地公園(京の大仏)
[ 西・約1.2km ] 三十三間堂(蓮華王院)
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主な施設 |
五輪塔・国松供養塔・松の丸殿供養塔 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
100円(登拝料) |
交通 |
【電車】 ・京阪電車「七条」駅から約1.4Km ・JR「京都」駅から約2Km ・地下鉄「京都」駅から約2Km 【バス】 ・市バス「東山七条」バス停 ・京都バス「東山七条」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約6Km ・駐車場あり |