山崎天王山(京都府乙訓郡大山崎町)にある真言宗寺院。宝寺とも呼ばれる。
歴史・概略
- 神亀元年(724年)、東大寺の大仏造立にも関わった行基(ぎょうき)が聖武天皇の勅命によって建立したと伝わる。同じく行基によって淀川沿いに建てられた山崎院の後身との見方もある。
- 長徳年間(995年~999年)、寂昭(じゃくしょう)により中興。
- 貞永元年(1232年)、火災により焼失。
- 天正10年(1582年)、京都本能寺で主君織田信長を討った明智光秀と、中国大返しによって駆け付けた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の軍が戦った「山崎の合戦」では、秀吉が本陣とした。
- 元治元年(1864年)、「禁門の変」の際には、尊王攘夷派の真木和泉(まき・いずみ)らがここに陣をおいた。「禁門の変」に敗れた後には天王山に立て籠もり爆死を遂げている。
見どころ・おすすめ
- 秀吉が腰を掛け天下について考えたと言われる出世石や一夜で建てたと伝わる三重塔が見られる。
- 天王山山頂には山崎城跡、中腹には「十七烈士の墓」や旗立松などいくつかの史跡があるのでまとめて回るのがいい。特に中腹にある旗立松の展望台からは合戦場所周辺を俯瞰して見られるのでおすすめ。
- 山崎から長岡京にかけて周辺には「山崎の合戦」に関連する史跡が点在しているので、こちらも同時に回るのがおすすめ。1日で全部を回り切るのは結構大変かもしれないが、合戦のスケール感が掴める。
「山崎の戦い」の後、秀吉が新たな拠点とした山崎城跡(京都府乙訓郡大山崎町)
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史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府乙訓郡大山崎町銭原 【付近の史跡】
[ 南・約0.4km ] 離宮八幡宮
[ 北東・約0.4km ] 山崎合戦之地(旗立松)
[ 北・約0.5km ] 十七烈士の墓(禁門の変)
[ 東・約0.6km ] 山崎津跡
[ 北西・約0.7km ] 山崎城跡(羽柴秀吉)
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主な施設 |
本堂・三重塔・閻魔堂・山門 |
利用時間 |
【閻魔堂】 9:00 ~ 16:00 |
定休日 |
無休 |
料金 |
【閻魔堂】 400円 |
交通 |
【電車】 ・JR「山崎」駅から約0.5Km ・阪急電車「大山崎」駅から約0.6Km 【マイカー】 ・名神高速「大山崎IC」から約2Km ・駐車場あり |