大阪府茨木市にあった城。
歴史・概略
- 築城年は分かっていないが、一説には南北朝で活躍した河内の豪族・楠木正成が築いたのが始まりともいわれる。
- 以後の記録はないが、室町時代には国人領主である茨木氏の城となっている。戦国時代には荒木村重と中川清秀の連合軍に敗れ(白井河原の戦い)、以後清秀が茨木城主となった。
- その後、「賤ヶ岳の戦い」で羽柴軍として参戦した清秀は戦死、清秀の子・秀政が城主となった。しかし、後に播磨国三木へ転封となり、以後は豊臣秀吉の直轄地となった。
- 「関ケ原の戦い」の後には、豊臣家家臣であった片桐且元・貞隆兄弟に与えられたが、「大坂の陣」終結後に片桐氏は転封となっている。
- その後、江戸幕府によって出された一国一城令により、高槻城を残して廃城となってしまったため遺構はほとんど残っていない。
- 築城:不明
- 廃城:元和2年(1616年)
- 築城主:不明
- 構造:平城
- 主な城主:茨木氏・中川清秀・片桐且元
見どころ・おすすめ
- 櫓門-復元櫓門。茨木市立茨木小学校の正門。
- 南西に少し行った茨木神社の東門は、移築された搦手門であると言われている。
- 北西約3Kmの場所に、中川清秀が茨木城主となるきっかけとなった「白井河原の戦い」の遺構が残されている。
史跡情報
地図 |
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【場所】 大阪府茨木市片桐町 【付近の史跡】
[ 北西・約1.7km ] 和田惟政供養塔(白井河原の戦い)
[ 南・約2km ] 和田惟政供養塔(東奈良史跡公園)
[ 北西・約2km ] 郡山城跡
[ 北西・約2km ] 馬塚(白井河原の戦い)
[ 東・約2km ] 普門寺(細川晴元・足利義栄)
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主な施設 |
茨木城櫓門(復元) |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・阪急「茨木市」駅から約0.7Km ・JR「茨木」駅から約1.3Km 【バス】 ・阪急バス「税務署前」「竹橋町」バス停 【マイカー】 ・名神高速「茨木IC」から約2Km |