戦国時代、織田氏・豊臣氏・徳川氏に仕えた藤堂高虎の城。
歴史・概略
- 室町時代には守護大名・二木氏の館があったが、その後伊賀は織田信長の勢力下となった。信長が本能寺で討たれるとその跡地を巡って羽柴秀吉陣営と徳川家康陣営の勢力争いが発生、「小牧・長久手の戦い」で脇坂安治によって落城した。
- 秀吉の死後発生した「関ケ原の戦い」の際にも、城主の筒井氏が東軍に付いたたため西軍によって攻撃を受け落城した。
- その後、築城の名手といわれる藤堂高虎が伊賀・伊勢に加増転封を受け、以後明治維新まで藤堂氏が藩主を務めた。豊臣家のいる大阪城をにらむ城として慶長16年(1611年)より大規模に改修、今見られるのはこの当時のものである。
- 築城:天正13年(1585年)
- 廃城:明治4年(1871年)
- 築城主:筒井定次
- 構造:梯郭式・平山城
- 主な城主:服部氏・仁木氏・脇坂安治・筒井定次・藤堂氏
- 日本100名城
史跡情報
地図 |
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【場所】 三重県伊賀市上野丸之内 【付近の史跡】
[ 北西・約17km ] 紫香楽宮跡(甲賀寺跡)
[ 北・約19km ] 紫香楽宮跡(宮町遺跡)
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主な施設 |
模擬天守・石垣・堀 |
利用時間 |
9:00 ~ 17:00 |
定休日 |
年末 |
料金 |
大人500円・小人200円 (割引・共通券あり) |
交通 |
【電車】 ・伊賀鉄道「上野市」駅から約0.3Km 【バス】 ・三重交通「公園口」「公園東口」バス停 【マイカー】 ・名阪国道「上野東IC」から約2Km ・駐車場あり |