三重県桑名市にあった城。江戸時代の長島藩藩庁。
歴史・概略
伊勢長島城は北伊勢、長良川と木曽川に挟まれた尾張の国境近くに築かれた平城。その歴史は古く、鎌倉時代にまでさかのぼる。また、本願寺勢力が織田信長との間で激しく争った舞台(長島一向一揆)として広く知られている。
- 寛元3年(1245年)、公卿の藤原道家(九条道家)が館を築いたのが始まりとされる。
- 文明14年(1482年)、北勢四十八家(北伊勢に勢力を張る小規模な城主および豪族の総称)のひとり伊藤重晴が長島城を築城し長島を治めた。
- 永禄10年(1567年)、織田信長の美濃攻略により美濃を追われた斎藤龍興が長島に逃げ込んだことにより、織田軍が伊勢に侵攻、北伊勢は信長に従属した。
- 元亀元年(1570年)、本願寺が織田信長に対して蜂起すると長島でも一揆が発生、長島城を攻め落とした。その後長島城は一揆勢の拠点となったが天正2年(1574年)に信長に降伏した。この際織田軍は退去する一揆勢に対して攻撃を行い、それに怒った一揆勢は反撃し双方に多大な被害が出た。
- 信長の支配以降は、滝川一益、織田信雄、豊臣秀次、福島高晴(福島正則の弟)などたびたび領主が変わった。
- 天正12年(1584年)、織田信雄が秀吉よりだった三家老を長島城に呼び出し謀殺。これにより小牧・長久手の戦いが勃発した。
- 天正13年末(1586年初)、天正地震により壊滅。このとき秀吉は家康討伐の準備を進めていたが長島城のほか大垣城や長浜城など秀吉陣営に多大な被害が出たため、家康討伐は行われなかった。
- 慶長6年(1601年)、菅沼定仍(すがぬま・さだより)が入府し、長島藩が立藩。
- 元和7年(1621年)、菅沼氏が移封され長島藩は廃藩、長島城は一時廃城となった。
- 慶安2年(1649年)、松平康尚(まつだいら・やすなお)(久松松平家)が入府し、長島藩が再興。
- 元禄15年(1702年)、増山正弥(ましやま・まさみつ)が入府。
見どころ・おすすめ
- 明治になってこの東にある蓮正寺に長島城大手門が移築されて残っている。
史跡情報
地図 |
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【場所】
三重県桑名市長島町西外面 |
主な施設 |
案内板のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・近鉄電車「近鉄長島」駅から約0.9Km ・JR「長島」駅から約1Km 【バス】 ・桑名市コミュニティバス「中部小学校前」バス停 ・三重交通「長島」バス停 【マイカー】 ・東名阪自動車道「長島IC」から約3Km |