岐阜県恵那市岩村町にあった城。
江戸時代の岩村藩藩庁で日本三大山城のひとつに数えられる。
歴史・概略
- 鎌倉時代中期頃、美濃国遠山荘の地頭・遠山景朝により築城。この頃は砦や居館のようなものであったと思われる。
- 元亀2年(1571年)、城主・遠山景任が没すると妻であったおつやの方(織田信長の叔母)が女城主として差配した。
- 元亀3年(1572年)、武田信玄の西上作戦により武田方に降伏。
- 元亀4年(1573年)、おつやの方が秋山虎繁と結婚。
- 天正3年(1575年)、織田信忠が岩村城へ侵攻し落城。おつやの方、秋山虎繁らが処刑。
- 天正3年(1575年)、岩村城攻めの功により岩村城は河尻秀隆に与えられた。
- 天正10年(1582年)、甲州征伐により甲斐武田家が滅亡。このとき河尻秀隆が甲斐に移封となり、後には団忠正(だん・ただまさ)が入った。
- 天正10年(1582年)、本能寺の変で団忠正が討死。この後は森長可(もり・ながよし)が接収し各務元正(かがみ・もとまさ)が城代として入った。各務の時代に次々と改修が行われ、ほぼ現在見られる岩村城となった。
- 慶長4年(1599年)、森氏が移封、後に田丸直昌が入城。
- 慶長5年(1600年)、関ケ原の戦いにより田丸直昌が改易となり、松平家乗(大給松平氏)が入城。
- 正保2年(1645年)、丹羽氏信が入城。
- 元禄15年(1702年)、松平乗紀(大給松平氏)が入城。
武田信玄が行った西上作戦のひとつ三方ヶ原の戦いの戦場跡(静岡県浜松市)
団忠正が織田信忠とともに討ち死にした二条殿址(京都府京都市)
- 築城:鎌倉時代中期頃
- 廃城:明治4年(1871年)
- 築城主:遠山景朝
- 構造:梯郭式・山城
- 主な城主:遠山氏、秋山虎繁、河尻秀隆
- 日本100名城
- 【日本三大山城】備中松山城(岡山県)・高取城(奈良県)・岩村城(岐阜県)
史跡情報
地図 |
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【場所】 岐阜県恵那市岩村町 |
主な施設 |
石垣・郭・井戸・移築門 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・明和鉄道「岩村」駅から約3Km 【マイカー】 ・中央自動車道「恵那IC」から約17Km ・駐車場あり |