平安時代から室町時代にかけて藤原氏の邸宅、および天皇退位後の御所として使われた屋敷跡。
歴史・概略
- 持明院(じみょういん)は平安時代後期、陸奥守・鎮守府将軍に任ぜられた藤原基頼(ふじわら・もとより)が、屋敷を構えたことに始まる。持明院の名は、基頼が邸内に建立した持仏堂の名に由来する。
- 基頼の子・藤原通基が持明院を改築して安楽光院(安楽行院)と改名、持明院は邸宅の名として残り、以降は家号として使われた。
- 鎌倉時代、高倉天皇の第二皇子・守貞親王(後高倉院)が持明院基家の娘・陳子を妃とし、持明院を御所とした。「承久の乱」の後、二人の間に生まれた皇子・後堀河天皇が即位、幼い天皇に代わって守貞親王がここで院政を行っている。
- その後、後堀河天皇も四条天皇に譲位すると、持明院を御所として院政を行った。後に後嵯峨天皇や後深草天皇も御所とし、後深草天皇以降、皇統が別れた後は後深草天皇の子孫である伏見上皇、後伏見上皇、花園上皇、光厳上皇、光明上皇、崇光天皇が御所とした。この皇統は使われた御所から、持明院統と呼ばれ室町時代初期には北朝となった。
- 文和2年/正平8年(1353年)、火災により焼失。安楽光院は再建されるが屋敷は再建されなかった。
見どころ・おすすめ
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市上京区安楽小路町 【付近の史跡】
[ 西・約0.3km ] 百々橋の礎石(応仁の乱)
[ 東・約0.3km ] 花の御所石敷き(幕府将軍室町第)
[ 西・約0.4km ] 山名宗全邸跡
[ 南東・約0.4km ] 足利将軍室町第址(室町幕府御所)
[ 南東・約0.5km ] 薩摩藩邸跡(京都)
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「今出川」駅から約0.6Km 【バス】 ・市バス「上京区総合庁舎前」「堀川寺ノ内」「烏丸中学前」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約10Km |