平安時代初期に在位した淳和天皇(じゅんなてんのう)の離宮跡。
歴史・概略
- 淳和院は天皇が即位する前より使われており、当時は南地院と呼ばれ即位後に離宮となった。甥(嵯峨天皇の皇子)である正良親王(仁明天皇)への譲位がここで宣言され、譲位に合わせて淳和院と改められた。退位後はここに移り住み、7年後に崩御した。
- 東西に約230メートル、南北に約250メートルの広さであったと言われ、現在石碑の立つ高山寺は淳和院の丁度東南の角にあたる。また淳和天皇は西院帝とも呼ばれ、この地の由来ともなっている。
見どころ・おすすめ
- この少し東にも同時代に使われた御所跡・朱雀院跡があるのでそちらも合わせてどうぞ。
施設データ
地図 |
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住所:京都府京都市右京区西大路通四条東入る 淳和院跡 周辺の史跡を探す |
主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・阪急「西院」駅から約0.1Km ・京福電鉄「西院」駅から約0.2Km 【バス】 ・市バス「西大路四条」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約7Km |
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