平安京の大内裏跡、および豊臣秀吉が京都に築いた邸宅・聚楽第跡。
歴史・概略
- 築城:天正14年(1586年)
- 廃城:文禄4年(1595年)
- 築城主:豊臣秀吉
- 構造:平城
- 主な城主:豊臣秀吉・豊臣秀次
- かつてこの場所には平安京大内裏(北東部分)があり、朝廷の衰退とともに荒廃し、跡地は内野と呼ばれるようになった。
- 安土桃山時代になって、天下統一を目指す豊臣秀吉が内裏跡地に京都の拠点として聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)を築城した。しかし、竣工からわずか8年という短期間で破却されたため、聚楽第に関しての資料は乏しく、正確な位置すら分からない幻の城となっていた。
だが、この南向かいにあるハローワークの工事に伴って行われた発掘調査で、巨大な濠跡のほか数百点の金箔瓦が発見され、後に聚楽第の遺構であることが確認された。 - 聚楽第は邸宅ではあるが本丸と西ノ丸・北ノ丸・南二ノ丸の曲輪を持ち、それぞれが水堀で区切られた平城の構造で天守をも備えていたと言われる。
- この石碑の立っている場所は本丸を囲っていた濠の東側にあたり、ここから西に約300mのところにある「聚楽第址(本丸西濠跡)」碑までが本丸の範囲となる。
見どころ・おすすめ
- 現在、目に見える聚楽第の遺構はほとんど残ってはいないが、周辺には聚楽第跡や武家屋敷跡などがかなり広範囲に存在している。それぞれ石碑も立てられているので、これらを巡ってみるのがおすすめ。
- 大名に関する名前が町名に残っている場所も多く、これらを辿るのも面白い。
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施設データ
地図 |
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住所:京都府京都市上京区中立売通大宮通
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「今出川」駅から約1.4Km 【バス】 ・市バス「大宮中立売」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約9Km |