静岡県掛川市にあった戦国時代から江戸時代にかけての城。江戸時代の掛川藩藩庁。
ほかに雲霧城、松尾城とも呼ばれる。
歴史・概略
- 室町時代中期、駿河の守護大名今川氏の家臣・朝比奈泰煕(あさひな・やすひろ)により築城された。
- その後今川義元の戦死により力を失った今川氏は、永禄11年(1568年)に武田信玄と徳川家康の侵攻を受け、当主の今川氏真(いまがわ・うじざね)は掛川城に逃げ込んだ。しかしその後も攻撃は止むことなく永禄12年(1569年)に開城、ここに戦国大名今川氏は滅亡した。
その後掛川城は家康の勢力下となり、家臣の石川氏が入った。 - 小田原征伐の後、家康が関東に転封されると山内一豊(やまうち・かずとよ)が入り、城の大改修を行った。今見られる掛川城はほぼこのときのもの。
しかし、山内氏は「関ヶ原の戦い」の功により土佐に加増転封、掛川城は掛川藩庁として存続した。 - 慶長9年(1605年)、慶長地震により天守が倒壊。元和7年(1621年)に再建。
- 嘉永7年(1854年)、安政東海地震により天守が倒壊。掛川宿でも多くの建物が倒壊・焼失した。
- 築城:文明年間(1469年~1487年)
- 廃城:明治4年(1871年)
- 築城主:朝比奈泰煕
- 構造:平山城
- 主な城主:朝比奈氏・山内氏・井伊氏・小笠原氏・太田氏
- 日本100名城
史跡情報
地図 |
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【場所】 静岡県掛川市掛川 【付近の史跡】
[ 南・約9km ] 高天神城跡
[ 西・約11km ] 木原畷古戦場(三方ヶ原の戦い前哨戦・許禰神社)
[ 西・約16km ] 遠江国分寺跡
[ 西・約17km ] 一言坂の戦跡(三方ヶ原の戦い前哨戦)
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主な施設 |
天守閣・御殿・太鼓櫓・四足門・三日月堀 |
利用時間 |
9:00~17:00 |
定休日 |
無休 |
料金 |
大人410円・小中学生150円 |
交通 |
【電車】 ・JR「掛川」駅から約0.7Km 【マイカー】 ・東名自動車道「掛川IC」から約2.5Km ・駐車場あり |