花山院邸跡(京都御苑) | 場所と地図 – 歴史のあと

花山院邸跡(京都御苑)

花山院邸跡 邸宅・住居跡
花山院邸跡
ジャンル:京跡・宮跡/邸宅・住居跡/寺社
史跡年代:江戸時代 ー 幕末維新

平安時代から明治に至るまで存在した藤原氏の邸宅跡、および御所跡。

歴史・概略

  • 平安時代中期、清和天皇皇子・貞保親王(870年~924年)が邸宅を構えたことに始まるとされる。
  • その後、関白・藤原忠平の屋敷となり村上天皇の中宮・安子(忠平の孫)の屋敷となった。
  • 天暦4年(950年)、安子の産んだ生後2か月の憲平親王(冷泉天皇の立太子礼が当屋敷で行なわれた。
  • 冷泉天皇 櫻本陵

    冷泉天皇 櫻本陵(京都府京都市)

  • 冷泉天皇の子・花山天皇が出家後の後院とし、寛弘5年(1008年)、当屋敷で崩御した。追号は「花山院」。
  • その後、三条天皇皇后・藤原娍子藤原頼通師実家忠へと継承されていった。家忠花山院を称し子孫は花山院流と呼ばれ屋敷を受け継いでいった。
  • 延元元年/建武3年(1336年)、延元の乱」で足利尊氏と争った後醍醐天皇が和睦後に当屋敷に幽閉、しかしすぐに脱出し吉野で南朝を開いた。
  • 延元2年/建武4年(1337年)、北陸の金ヶ崎城で足利軍に捕らえられた後醍醐天皇の皇子・恒良親王(つねよししんのう)成良親王(なりよししんのう)が幽閉、後に毒殺されたとも伝わる。
  • 石碑の立てられている宗像神社、花山稲荷は花山邸内にあった社である。

見どころ・おすすめ

  • かつて存在していた宮家や公家屋敷の多くは、一部を残してほとんどが撤去されており、今は一年中草花が楽しめる公園として整備されている。
  • 京都御苑内は平安時代から幕末に至る屋敷跡が点在し、いたるところに説明書きの駒札が立てられているので、それを巡るだけでもかなり楽しめる。

史跡情報

地図
【場所】
京都府京都市上京区京都御苑
主な施設
石碑のみ
利用時間
常時
定休日
無休
料金
無料
交通
【電車】
・京都地下鉄「丸太町」駅
・京阪電車「神宮丸太町」駅

【バス】
・市バス「烏丸丸太町」「烏丸下立売」バス停

【マイカー】
・名神高速「京都南IC」から約9Km
・駐車場あり
タイトルとURLをコピーしました