京都府乙訓郡大山崎町にある前方後円墳。
歴史・概略
- 墳形:前方後円墳
- 長さ:58m(後円部:32m)
- 築造年代:4世紀後半
- 戦国時代末期、「本能寺の変」が起こった後に明智光秀と羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の軍勢が激突した「山崎の合戦」の際には、光秀の本陣が置かれたとされる。ただ、置かれたのは光秀の重臣だった斎藤利三(さいとう・としみつ)の陣とする説もあり、その場合、光秀の陣はもう少し北側にある恵解山古墳(いげのやまこふん)にあてられる。
- 「太閤記」の記述によれば、御坊塚という場所に光秀の本陣を置いたとある。この古墳は高さが25メートルほどあって周辺への見通しが利き、全軍の状況を把握し指揮をとるのにはまさにうってつけの場所であったといえる。実際、当時のものと思われる空堀り跡や鉄砲の玉などが出土している。
- そんな場所も今ではすっかり住宅に囲まれてしまい、当時の様子を伺い知ることはできず、ただそれを示す看板が立っているのみである。
- 「山崎の合戦」前後の出来事
<天正10年>
6月 2日 本能寺の変
6月 6日 秀吉、備中高松城より引き上げ(中国大返し)(日付は諸説あり)
6月13日 山崎の合戦
6月13日 光秀、戦いに敗れ勝龍寺城へ帰城
6月13日 光秀、坂本城へ逃げる途中で絶命
6月14日 坂本城落城
6月15日 安土城本丸焼失
6月27日 清須会議
山崎合戦古戦場碑(京都府乙訓郡大山崎町) 明智光秀本陣の候補のひとつとされる恵解山古墳(京都府長岡京市)
見どころ・おすすめ
- 山崎から長岡京にかけて、周辺には「山崎の合戦」に関連する史跡が点在しているので、同時に回るのがおすすめ。1日で全部を回り切るのは結構大変かもしれないが、合戦のスケール感が掴める。
- 天王山中腹の旗立松からは、合戦場所周辺を俯瞰して見ることができる。
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施設データ
地図 |
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住所:京都府乙訓郡大山崎町下植野 周辺の史跡を探す |
主な施設 |
案内板のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「長岡京」駅から約2Km ・阪急電車「西山天王山」駅から約1.2Km 【バス】 ・阪急バス「久貝」バス停 【マイカー】 ・名神高速「大山崎IC」から約0.8Km |
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