長浜城跡 | 場所と地図 – 歴史のあと

長浜城跡

長浜城 城跡
長浜城
ジャンル:城跡/博物館
史跡年代:安土桃山時代 ー 江戸時代

滋賀県長浜市にあった城で、羽柴秀吉が初めて城主となったことで知られる。

歴史・概略

織田信長の義理の弟・浅井長政が本拠とする小谷城攻略において武功を立てた秀吉は、浅井氏の旧領に入った。当時今浜と呼ばれたこの地に新しい城を築城、信長の一字をもらい長浜城と名付けた。

また、このころから秀吉はそれまでの木下姓を改めて羽柴姓を名乗り始めた。

  • 築城:天正元年(1573年)
  • 廃城:慶長20年(1615年)
  • 築城主:羽柴秀吉
  • 構造:平城
  • 主な城主:羽柴氏・柴田氏・山内氏・内藤氏
  • 日本100名城
  • 天正10年(1582年)、本能寺の変」によって信長が亡くなると明智光秀に味方した阿閉貞征(あつじ・さだゆき)が長浜城を占拠、ねねや城の者たちは近隣の寺などに避難した。しかし、このすぐ後に起った「山崎の戦い」で明智軍は敗北、阿閉氏は処刑された。
    「山崎の戦い」の後に行われた清須会議の話し合いの中で、長浜城は柴田勝家の支配下となり、勝家の甥である柴田勝豊が入った。
  • 天正10年末(1582年)、勝家秀吉の仲は次第に悪化、長浜城は秀吉の攻撃を受け降伏した。その後「賤ヶ岳の戦い」で柴田氏が討ち取られると、山内一豊が入った。
  • 天正13年11月29日(1586年1月18日)、天正大地震が発生。城は全壊、一豊の娘も犠牲となった。
  • 天正18年(1590年)、徳川家康が関東に移封され、一豊が家康の旧領・遠江国掛川に転封。
  • 慶長11年(1606年)、徳川譜代・内藤信成が入府。
  • 元和元年(1615年)、内藤氏が摂津国高槻に転封。長浜城は廃城となった。

史跡情報

地図
【場所】
滋賀県長浜市公園町
【付近の史跡】
[ 北・約9km ] 小谷城跡
[ 南・約11km ] 佐和山城址
[ 南・約11km ] 彦根城
[ 東・約18km ] 関ケ原古戦場
主な施設
長浜城歴史博物館(模擬天守)・太閤井戸
利用時間
【長浜城歴史博物館】
 9:00 ~ 17:00
定休日
【長浜城歴史博物館】
 年末年始
料金
【長浜城歴史博物館】
 大人400円・小中学生200円
交通
【電車】
・JR「長浜」駅から約0.4Km

【マイカー】
・北陸自動車道「長浜IC」から約5Km
・駐車場あり
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