伏見城に置いた黒田長政の屋敷のひとつがあったと考えられる場所。
歴史・概略
- 木幡山伏見城(こはたやまふしみじょう)は、豊臣秀吉が「慶長伏見地震」により倒壊した指月伏見城(しげつふしみじょう)に代わって築城した城である。「関ケ原の戦い」で焼失した後も徳川家康によって再建され、家康だけでなく秀忠、家光が将軍宣下を受けるなど武家政治の中枢ともいえる大変重要な城であった。
- 城の表玄関ともいえる大手門側(西側)には、豊臣政権を支える五大老の上屋敷や山内一豊、伊達政宗などの屋敷があった。そして、城の北東に当たるこの付近には五大老の下屋敷があり、ここには秀吉の側近であった黒田官兵衛の子・黒田長政の下屋敷があったと推定されている。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市伏見区深草大亀谷敦賀町 【付近の史跡】
[ 西・約0.8km ] 木幡山伏見城跡
[ 西・約0.9km ] 桓武天皇 柏原陵
[ 北西・約1.5km ] 仁明天皇 深草陵
[ 東・約1.7km ] 明智藪(光秀最後の地)
[ 南西・約1.8km ] 光明天皇・崇光天皇 大光明寺陵
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「藤森」駅から約1Km ・京阪電車「墨染」駅から約1.6Km ・近鉄電車「近鉄丹波橋」駅から約2Km ・地下鉄「六地蔵」駅から約1.7Km 【バス】 【マイカー】 ・名神高速道路「京都南IC」から約4Km |