「文禄・慶長の役」の際、豊臣秀吉の命により築かれた城。
歴史・概略
- 天正18年(1590年)の「小田原攻め」により天下統一を果たした秀吉はさらに大陸への進出を計画、「文禄の役」「慶長の役」の二度にわたる大規模な戦闘を繰り広げた。
- 名護屋城はその戦闘の際の出撃拠点として、天正19年(1591年)、九州北部の突出した波戸岬(唐津)の丘陵地帯に築城された。縄張りは黒田官兵衛、九州の大名たちによって築かれた。その規模は当時の大阪城に次ぐ規模とされ、周辺には半径数キロに渡って全国の諸大名の陣屋が点在していた。
- 秀吉の死後まもなく「文禄・慶長の役」は終結、名護屋城は存在理由を失って廃城となった。残された資材は後に築城された唐津城に再利用されたと伝わっている。
- 築城:天正19年(1591年)
- 廃城:慶長3年(1598年)
- 築城主:豊臣秀吉
- 構造:梯郭式・平山城
- 主な城主:豊臣秀吉
- 日本100名城
見どころ・おすすめ
- 周辺には参陣した武将の陣跡が広範囲に点在し案内が立てられているので巡ってみるのがおすすめ。
史跡情報
地図 |
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【場所】 佐賀県唐津市鎮西町名護屋 【付近の史跡】
[ 南東・約13km ] 唐津城
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主な施設 |
本丸跡・天守台跡・二ノ丸跡・三ノ丸跡・弾正丸跡・上山里丸跡・下山里丸跡・台所丸跡・遊撃丸跡・名護屋城博物館 |
利用時間 |
名護屋城跡 常時 名護屋城博物館 9:00~17:00 |
定休日 |
名護屋城跡 常時 名護屋城博物館 月曜日(祝日の場合翌日)・年末 |
料金 |
名護屋城跡 協力金100円 名護屋城博物館 無料 |
交通 |
【バス】 ・昭和バス「名護屋城博物館入口」バス停 【マイカー】 ・西九州自動車道「唐津IC」から約30Km ・駐車場あり |