埼玉県富士見市にあった鎌倉時代から戦国時代にかけての平城。
歴史・概略
- 「武蔵七党」と呼ばれる武士団のひとりであった金子高範(かねこたかのり)が、「承久の乱」において討ち死にし、その恩賞として難波田(南畑)が与えられた。そこに館を構えたのが始まりとされ、その後難波田氏(なんばだ)を名乗った。
- 「観応の擾乱(かんのうのじょうらん)」の際には、城主の九郎三郎が足利直義に与して、荒川西岸の羽根倉で高麗彦四郎経澄(こまつねずみ)と戦って討死した。その後扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)に仕えたが、「河越城の戦い」で扇谷上杉家が滅亡すると没落した。
- その後は北条氏の支城となっていたが、小田原征伐の後に廃城となった。
史跡情報
地図 |
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【場所】 埼玉県富士見市下南畑 【付近の史跡】
[ 東・約1.8km ] 羽根倉古戦場(観応の擾乱)
[ 北西・約10km ] 川越城
[ 南西・約13km ] 八国山(久米川の戦い)
[ 南西・約13km ] 久米川古戦場跡(元弘の乱)
[ 西・約15km ] 小手指原古戦場(元弘の乱)
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主な施設 |
復元城郭・難波田城資料館・古民家 |
利用時間 |
【公園】 4月~9月 9:00~18:00 10月~3月 9:00~17:00 【資料館および古民家】 9:00~17:00 |
定休日 |
【公園】 無休 【資料館および古民家】 月曜日(祝日の場合その翌日) 年末年始 祝日の翌日(土日祝日を除く) |
料金 |
無料 |
交通 |
【バス】 ・東武バス「難波田城公園南口」「興禅寺入口」バス停 【マイカー】 ・関越自動車道「所沢IC」から約7Km ・駐車場あり |