大阪城公園のすぐ南に位置する古代の都跡。
歴史・概略
- 大正2年(1913年)、奈良時代の軒丸瓦が数個出土した。しかし発見当時はあまり注目されず戦後になってようやく本格的な調査を開始、地中から2層にわたる建物跡が見つかった。下層部分は飛鳥時代のもので前期難波宮(難波長柄豊崎宮・なにわながらとよさきのみや)、上層部分は奈良時代のもので後期難波宮と呼ぶ。
その後始まった開発ラッシュによって宮跡消滅の危機に襲われたが、発掘に携わった山根徳太郎氏などの尽力により現在は史跡公園として整備されている。 - 前期難波宮は大化元年(645年)~朱鳥元年(686年)の期間営まれた都(うち645年~655年は首都)。「乙巳の変(中大兄皇子と中臣鎌足による蘇我入鹿暗殺事件)」の後に即位した孝徳天皇により遷都され、天皇中心の政治改革である「大化の改新」が行われた。
建物はすべて掘立柱建物(礎石を使わず穴を掘って柱を立てる構造)の草葺屋根。北から内裏、内裏前殿、左右対称になった八角形の楼閣、朝堂院(左右対称に14もしくは16の建物)、さらに南側には朱雀門が確認されている。この内裏と朝堂が別れた構造は前期難波宮が最初とされる。 - 後期難波宮は神亀3年(726年)~延暦12年(793年)の期間営まれた都(うち744年~745年は首都)。聖武天皇(しょうむてんのう)により、都を遷したばかりの恭仁京(くにきょう)から遷都してきた。しかし、わずか1年ほどで今度は紫香楽宮(しがらきのみや)へ遷った後、再び平城京へと都を遷した。
宮が建てられた場所は前期難波宮と同じ場所、中心軸もまったく同じ。構造は礎石建物の瓦葺屋根。北から内裏、大極殿、朝堂院(左右対称に12建物)が並ぶ。 - 【前期】大化元年(645年)、孝徳天皇により難波京へ遷都。
- 【前期】白雉3年(652年)、難波宮が完成。
- 【前期】白雉4年(653年)、中大兄皇子(後の天智天皇)と皇極前天皇(後の斉明天皇)が大和へ遷る。
- 【前期】白雉5年(654年)、孝徳天皇崩御。
- 【前期】天武天皇12年(683年)、天武天皇が複都制の詔を発し難波京が飛鳥京とともに都となる。
- 【前期】朱鳥元年(686年)、出火により難波宮が全焼。
- 【後期】神亀3年(726年)、聖武天皇が藤原宇合(ふじわら・うまかい)を難波宮造営の責任者に任命。後に造営が開始され平城京の副都とされる。
- 【後期】天平16年(744年)、聖武天皇により難波京遷都。
- 【後期】天平17年(745年)、紫香楽宮遷都。(その後すぐに平城京へ遷都)
- 【後期】延暦3年(784年)、長岡京遷都。長岡京造営の際、大極殿をはじめとした多くの建物が難波宮から移築される。
- 【後期】延暦12年(793年)、この頃廃都となる。
【日本のおもな首都】
遷都年 | みやこ | 所在地 | 遷都時の天皇 |
---|---|---|---|
593年(崇峻天皇5年) | 飛鳥京(あすかきょう) | 奈良県 | 推古天皇 |
645年(大化元年) | 難波京(なにわきょう) | 大阪府 | 孝徳天皇 |
655年(斉明天皇元年) | 飛鳥京(あすかきょう) | 奈良県 | 斉明天皇 |
667年(天智天皇6年) | 大津京(おおつきょう) | 滋賀県 | 天智天皇 |
672年(天武天皇元年) | 飛鳥京(あすかきょう) | 奈良県 | 天武天皇 |
694年(持統天皇8年) | 藤原京(ふじわらきょう) | 奈良県 | 持統天皇 |
710年(和銅3年) | 平城京(へいじょうきょう) | 奈良県 | 文武天皇 |
740年(天平12年) | 恭仁京(くにきょう) | 京都府 | 聖武天皇 |
744年(天平16年) | 難波京(なにわきょう) | 大坂府 | 聖武天皇 |
745年(天平17年) | 紫香楽宮(しがらきのみや) | 滋賀県 | 聖武天皇 |
745年(天平17年) | 平城京(へいじょうきょう) | 滋賀県 | 聖武天皇 |
784年(延暦3年) | 長岡京(ながおかきょう) | 京都府 | 桓武天皇 |
794年(延暦13年) | 平安京(へいあんきょう) | 京都府 | 桓武天皇 |
1180年(治承4年) | 福原京(ふくはらきょう) | 兵庫県 | 安徳天皇 |
1180年(治承4年) | 平安京(へいあんきょう) | 京都府 | 安徳天皇 |
1869年(慶応4年) | 東京(とうきょう) | 東京都 | 明治天皇 |
見どころ・おすすめ
- 大極殿跡や楼閣、回廊、朝堂がタイルなどで復元されており、当時の様子が分かるようになっている。
- この公園以外にも北西にある前期難波宮官衙跡や東に隣接する内裏東方遺跡など、宮に付随する施設跡が確認されている。前期難波宮官衙跡に建てられている大阪歴史博物館では難波宮について詳しい展示がされているので、一緒に行くのがおすすめ。
- また大阪城からも近いので、博物館や大阪城にうまく組み込んだらよいかと。
史跡情報
地図 |
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【場所】 大阪府大阪市中央区法円坂 【付近の史跡】
[ 東・約0.2km ] 難波宮内裏東方遺跡
[ 南・約0.2km ] 前期難波宮朝堂院南門跡
[ 北西・約0.3km ] 法円坂遺跡・前期難波宮内裏西方官衙
[ 東・約0.3km ] 越中井(細川忠興邸跡・ガラシャ最後の地)
[ 東・約0.3km ] 難波宮跡東辺
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主な施設 |
大極殿跡・回廊跡・朝堂院跡・八角堂跡 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「森ノ宮」駅 ・大阪地下鉄「谷町四丁目」駅 |