福島県二本松市にあった城。江戸時代の二本松藩藩庁。
霞ヶ城とも呼ばれる。
歴史・概略
室町時代中頃、二本松満泰が城を築いたのが始まり。その後城主は度々代わっていき、寛永20年(1643年)に丹羽長秀の孫である光重が入城して以降、丹羽氏の居城となった。
戊辰戦争のひとつ「二本松の戦い」においては、二本松藩は旧幕府側について、新政府軍によって攻撃され落城、多くの犠牲者を出した。中でも、後に「二本松少年隊」と命名された12歳から17歳の少年兵が動員され、若者の命が失われたことは悲劇として伝わっている。
- 築城:室町時代中期
- 廃城:明治5年(1872年)
- 築城主:二本松満泰
- 構造:梯郭式・平山城
- 主な城主:二本松氏・伊達氏・蒲生氏・上杉氏・加藤氏・丹羽氏
- 日本100名城
- 室町時代中頃、畠山氏の一族・二本松満泰により築城。
- 天正14年(1586年)、伊達政宗の配下となる。
- 天正19年(1591年)、伊達氏への減封処分により蒲生氏郷に与えられる。
- 慶長3年(1598年)、蒲生氏が転封され上杉景勝に与えられる。
- 慶長5年(1600年)、関ケ原の戦いにより上杉氏が減封、蒲生領となる。
- 寛永4年(1627年)、加藤嘉明が会津に入り娘婿に当たる松下重綱が二本松城に入る。
- 寛永5年(1628年)、加藤嘉明の3男・明利が二本松城に入る。
- 寛永20年(1643年)、丹羽光重が二本松城に入る。
- 慶応4年(1868年)、戊辰戦争。奥羽越列藩同盟として新政府軍と交戦。
史跡情報
地図 |
---|
【場所】 福島県二本松市郭内 |
主な施設 |
旧二本松藩戒石銘碑・二本松少年隊群像・箕輪門・洗心亭・搦手門跡・本丸跡 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「二本松」駅から約1.3Km 【マイカー】 ・東北自動車道「二本松IC」から約2Km ・駐車場あり |