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二条殿御池跡

二条殿御池跡碑邸宅・住居跡
二条殿御池跡碑

京都にあった皇族や公家の邸宅跡。安土桃山時代には織田信長の屋敷としても使われ、「本能寺の変」の戦闘が起こった場所でもある。

歴史・概略

  • この場所は、平安時代より皇族や公家の邸宅として利用され、鎌倉時代中期正嘉元年(1257年)には、後嵯峨上皇が御所を造営している。邸内には大きな池があり、後の時代に「龍躍池」と命名されている。
  • その後、藤原氏一門で五摂家のひとつである二条家が邸宅とした。
  • 建武3年(1336年)、「建武の新政」から離反した足利尊氏が、持明院統の光厳上皇と弟の豊仁親王(光明天皇)を担ぎ出し、この邸内で即位させた。これにより朝廷が南朝と北朝に分裂、以降60年に渡って日本を二分する時代が始まった(南北朝動乱)
  • 天正4年(1576年)、屋敷の景色を気に入った織田信長が上洛時の宿所としてこれを改修、「二条御新造」「二条城」などと呼ばれた。
  • 天正7年(1579年)、屋敷を正親町天皇の皇子・誠仁親王(さねひとしんのう)に献上し、以降は「二条新御所」などと呼ばれている。
  • 天正10年6月2日(1582年6月21日)、「本能寺の変」が発生。このとき隣接地の妙覚寺には信長の嫡男・織田信忠がおり、信長の救援のため本能寺へ向かおうとした。しかし、すでに本能寺が落ちたことを知り、自身は二条新御所に立て籠もった。その後、信忠は明智軍に囲まれ徹底抗戦するが、二条新御所、妙覚寺ともに焼け落ちた。
  • 跡地には信忠の菩提を弔うため、羽柴秀吉によって大雲院が創建されたが、すぐに秀吉による京都整備が始まり移転されている。
  • 現在、屋敷を思わせるものは何一つ残っていないが、周辺からは御池通りの名の由来ともなった池の遺構が見つかっている。

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施設データ

地図
住所:京都府京都市中京区御池之町

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主な施設
石碑のみ
利用時間
常時
定休日
無休
料金
無料
交通
【電車】
・地下鉄「烏丸御池」駅から約0.2Km
・阪急電車「烏丸」駅から約1Km

【バス】
・市バス「新町御池」「烏丸御池」バス停
・京都バス「新町御池」「烏丸御池」バス停

【マイカー】
・名神高速「京都南IC」から約8Km

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