旧二條城跡(足利義昭御所) | 場所と地図 – 歴史のあと

旧二條城跡(足利義昭御所)

旧二條城跡 城跡
旧二條城跡
ジャンル:城跡/古戦場
史跡年代:室町時代

京都府京都市にあった戦国時代末期の平城。
室町幕府最後の将軍・足利義昭(あしかが・よしあき)の居城として知られる。

歴史・概略

永禄11年9月(1568年)、美濃を攻略した織田信長は13代将軍足利義輝の弟・義昭の要請を受けて上洛、三好氏の支配を受けていた畿内は織田軍によってすぐに制圧された。義昭は朝廷より将軍宣下を受け、上洛後ほどなくして15代将軍が誕生した。

義昭は就任当初、本圀寺(ほんこくじ)を仮の御所としていた。しかし、翌年三好の残党らの襲撃を受けるなどしたため(本圀寺の変)、信長はより防備が整った二条城を義昭のために築城した。

二条城が造られたのは13代将軍・義輝が邸宅としていた武衛陣(ぶえいじん)跡地。2重の濠と3重の天守をも構えた本格的な城であったという。

しかし、上洛当初こそ関係の良かった信長義昭であったが、次第に対立していくことになる。そして武田信玄朝倉義景らの反信長の動きによって信長が追いつめられると、義昭は挙兵(二条御所の戦い・槇島城の戦い)し信長との関係は決定的となった。
この戦いに敗北した義昭は京都を追放され二条城を守備した三淵藤英は切腹、二條城はすぐに廃城となった。

  • 築城:永禄12年(1569年)
  • 廃城:天正元年(1573年)
  • 築城主:織田信長
  • 構造:平城
  • 主な城主:足利義昭

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室町最後の将軍・足利義昭の居城 旧二条城石垣
室町幕府最後の将軍となった足利義昭のため織田信長が建てた二条城その石垣が京都御苑の片隅に復元されている#二条城#足利義昭#京都御苑

史跡情報

地図
【場所】
京都府京都市上京区下立売通室町
主な施設
石碑のみ
利用時間
常時
定休日
無休
料金
無料
交通
【電車】
・地下鉄「丸太町」駅から約0.4Km

【バス】
・市バス「烏丸下立売」「烏丸丸太町」バス停

【マイカー】
・名神高速「京都南IC」から約9Km
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