平安時代末期、権力の座についた平家の頭領・平清盛が京に構えた邸宅跡。
歴史・概略
- 平氏政権が樹立するきっかけとなった「平治の乱(1159年)」の7年後にあたる仁安元年(1166年)、平清盛によって造営されたと言われる。六町の敷地を有する広大な屋敷で清盛が上洛した際にはこの屋敷が使用されたという。
清盛が屋敷内に蓬(よもぎ)を植えたことに因んで、蓬壺(ほうこ)とも呼ばれた。 - 治承5年(1181年)、清盛が64歳で没した2日後には放火によって50余りの建物が被害を受けたが、一旦は再建はされた。しかし、木曽義仲の入京によって平氏が都落ちする際に、自らが放った火によって再び焼失した。
このおよそ4年後、平家はこの後二度と京都の地を踏むことなく滅亡した。 - 平成の発掘調査により土器や柱跡のほか、火災があったことを示す遺構も出土しており、記録に書かれた出来事の裏付けがされている。
見どころ・おすすめ
- これを東に1キロほど行った場所にも西八条殿跡碑(若一神社)が立つ。
施設データ
地図 |
---|
住所:京都府京都市下京区観喜寺町
周辺の史跡を探す |
主な施設 |
案内板のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「梅小路京都西」駅から約0.5Km ・地下鉄「京都」駅から約1.3Km ・近鉄電車「京都」駅から約1.3Km 【バス】 ・市バス「梅小路公園・京都鉄道博物館前」「梅小路公園JR梅小路京都西駅」「七条大宮・京都水族館前」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約5Km |