明治期、京都に設置された女性のための育成機関・女紅場(にょこうば)の跡。
歴史・概略
- 明治5年(1872年)、九条家の別邸内に新英学級及女紅場を設置、裁縫などの職業訓練のほか、併設された新英学校ではイギリス人講師を招いて英語などが教えられた。その後学校名は度々変えられ、明治33年(1900年)には移転、京都府立鴨沂高等学校(おうきこうこう)として現在に至っている。
- 元会津藩士・山本覚馬(やまもと・かくま)は、明治維新直後から京都府知事の顧問として、教育機関の設立や鉄道の敷設などに携わり京都の発展に力を尽くした人物で、女紅場の設置もこうした流れによるものである。覚馬の妹・新島八重(にいじま・やえ)は覚馬の推薦により、権舎長と教導試補を務めている。
史跡情報
地図 |
---|
【場所】 京都府京都市上京区駒之町 【付近の史跡】
[ 南・約0.2km ] 明治天皇行幸所木戸邸
[ 西・約0.3km ] 新島旧邸
[ 東・約0.4km ] 白河南殿跡
[ 南西・約0.4km ] 囲碁「本因坊」発祥の地
[ 東・約0.4km ] 白河北殿跡
|
主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・京阪電車「神宮丸太町」駅から約0.1Km ・地下鉄「京都市役所前」駅から約1Km 【バス】 ・市バス「河原町丸太町」「丸太町京阪前」バス停 ・京都バス「川端丸太町」「河原町丸太町」バス停 【マイカー】 ・名神高速道路「京都東IC」から約7Km |