明治初頭、今後の日本の体制について話し合った大阪会議が行われた場所。
歴史・概略
- 明治8年(1875年)2月11日、明治政府の中心的人物である大久保利通、木戸孝允、板垣退助が、伊藤博文、井上馨の斡旋により、大阪北浜の料亭で話し合いを行った。これを大阪会議という。
- この頃の明治政府は、征韓論や台湾出兵などの意見の違いなどから内部分裂を起こし、各地では不平士族が反乱を起こすなど不穏な情勢に陥っていた。この空中分解寸前の政府を立て直すために行われた会議であり、それぞれの思惑がありながらもなんとか合意へと至ることができた。
史跡情報
地図 |
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【場所】 大阪府大阪市中央区北浜 【付近の史跡】
[ 西・約0.5km ] 適塾(緒方洪庵旧宅)
[ 東・約0.7km ] 八軒家浜船着場跡
[ 東・約1km ] 東町奉行所跡(大塩平八郎ゆかりの地)
[ 南東・約1.3km ] 太閤(背割)下水
[ 南東・約1.5km ] 法円坂遺跡・前期難波宮内裏西方官衙
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・大阪地下鉄「北浜」駅 ・京阪電鉄「北浜」駅 |