室町時代中期、「応仁の乱」が始まるきっかけとなる御霊合戦が行われた場所。
歴史・概略
- 御霊合戦(ごりょうがっせん)とは応仁元年(1467年)1月18日朝、上御霊神社境内において畠山政長(はたけやま・まさなが)と畠山義就(はたけやま・よしひろ/よしなり)との間で行われた戦いで「上御霊神社の戦い」とも呼ばれる。
- 畠山氏は細川氏や斯波氏とともに室町幕府を支える三管領家のひとつで、先代管領であった畠山持国が約束を違えて弟の持富ではなく、庶子の義就を後継に指名したことから家中が分裂、以降10年以上に渡り争いが続けられた。一旦は義就が家督を継いで落ち着くものの、その後持富の子である政長が家督を奪う。しかし義就はその後も政長に対する工作を行い、それに焦りを感じた政長と再び戦闘になった。
- あくまで畠山氏の家督を巡る争いではあったが、これに山名宗全や朝倉孝景らが義就に加担し、それに対し幕府の有力者細川勝元が反発、この戦いをきっかけとして政権が分裂した。さらには将軍後継問題なども加わって、この先10年以上に及ぶ日本全土に波及する大乱へと拡大、室町幕府の権威が揺らぐ事態となった。
- <応仁の乱のおもな戦い>
御霊合戦・上京の戦い・東岩倉の戦い・相国寺の戦い・観音寺城の戦い・西岡の戦い・若江城の戦い
見どころ・おすすめ
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市上京区上御霊前町 【付近の史跡】
[ 西・約0.3km ] 小松帯刀寓居・御花畑屋敷跡・薩長同盟所縁地
[ 南西・約0.5km ] 花の御所石敷き(幕府将軍室町第)
[ 南西・約0.6km ] 持明院仙洞御所跡
[ 南・約0.7km ] 薩摩藩邸跡(京都)
[ 西・約0.8km ] 百々橋の礎石(応仁の乱)
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主な施設 |
上御霊神社・「応仁の乱勃発地」碑 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「鞍馬口」駅から約0.2Km ・京阪電車「出町柳」駅から約1.6Km ・叡山電鉄「出町柳」駅から約1.6Km 【バス】 ・京都バス「烏丸鞍馬口」「烏丸中学前」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約11Km |