千利休居士聚楽屋敷址 | 場所と地図 – 歴史のあと

千利休居士聚楽屋敷址

千利休居士聚楽屋敷址 邸宅・住居跡
千利休居士聚楽屋敷址
ジャンル:邸宅・住居跡
史跡年代:安土桃山時代
関連タグ: 

平安時代に活躍した陰陽師・安倍晴明を祀る晴明神社が建つ地は、かつて茶人千利休が屋敷を構えており、境内には当時茶湯に用いたとされる井戸が現存する。

歴史・概略

  • 天下統一を目指す豊臣秀吉が、本拠として京都の御所近くに聚楽第(じゅらくだい・じゅらくてい)を築城した。周辺には配下の大名たちが屋敷を構え、この場所には秀吉の側近として仕えた利休屋敷があった。
    千利休(せん・りきゅう)は茶の湯だけでなく、秀吉の弟の豊臣秀長とともに秀吉を支え、政治にも多大な影響力を持ったという。
  • しかし、次第に秀吉との関係が悪化していき、最後には切腹を命じられて当屋敷内で自害して果てた。享年70。
    利休の首はすぐ南の一条戻橋にさらされたという。

見どころ・おすすめ

  • 現在、目に見える聚楽第の遺構はほとんど残っていないが、周辺には聚楽第跡や武家屋敷跡などがかなり広範囲に存在し石碑も立てられているので、これらを巡ってみるのがおすすめ。
  • 大名に関する名前が町名に残っている場所も多く、これらを辿るのも面白い。

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史跡情報

地図
【場所】
京都府京都市上京区葭屋町通今出川下る
主な施設
石碑のみ
利用時間
常時
定休日
無休
料金
無料
交通
【電車】
・地下鉄「今出川」駅から約0.9Km

【バス】
・市バス「一条戻橋・晴明神社前」バス停

【マイカー】
・名神高速「京都南IC」から約9Km
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