江戸時代、京都に置かれた獄舎(牢獄)跡。
歴史・概略
- 宝永5年(1708年)に起った大火ののち現在地に移転され、明治の中頃まで利用された。
- 宝暦4年(1754年)、医学者・山脇東洋(やまわきとうよう)が、処刑された囚人の遺体を使って日本で初めての人体解剖を行った。そのときの記録は5年後に「蔵志」としてまとめられ、日本最初の解剖書となった。
- 元治元年7月19日(1864年8月20日)、「禁門の変」に端を発した大火が獄舎へと迫ってきた。火の手が回って囚人たちが脱走することを恐れた幕史たちは、収監していた囚人30名以上を殺害した。
このとき殺害された囚人の中には平野国臣(ひらのくにおみ)や水郡善之祐(にごりぜんのすけ)、古高俊太郎(ふるたかしゅんたろう)などがいた。
見どころ・おすすめ
- 周りは完全な住宅地で建物跡などの痕跡はまったく残っていないが、日本近代医学発祥地碑や平野国臣外数十名終焉址碑、山脇東洋観臓之地碑など石碑がいくつか立てられている。
- 二条城からさほど遠くないので、ついでに覗いてみればよいかと。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市中京区六角通神泉苑西入る 【付近の史跡】
[ 北西・約0.3km ] 勧学院址
[ 東・約0.4km ] 名和長年公景慕碑
[ 東・約0.4km ] 中山内府威蹟地
[ 北・約0.4km ] 若狭小浜藩邸跡(京都)
[ 西・約0.4km ] 奨学院址
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主な施設 |
日本近代医学発祥地碑・平野国臣外数十名終焉址碑・山脇東洋観臓之地碑 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・阪急電車「大宮」駅から約0.6Km ・京福電車「四条大宮」駅から約0.6Km ・JR「二条」駅から約0.8Km ・地下鉄「二条城前」駅から約0.8Km 【バス】 ・市バス「みぶ操車場前」「神泉苑前」「千本三条・朱雀立命館前」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約7Km |