滋賀県大津市にあった城。安土桃山時代、明智光秀が居城としていたことで知られる。
歴史・概略
- 元亀2年(1571年)、比叡山焼き討ちの実行部隊として武功をあげた明智光秀が、近江国の滋賀郡を拝領、延暦寺の麓の琵琶湖岸に坂本城を築城した。
- 坂本城には築城当時より天守が備えられており、天守としては最古級のものとされている。公卿の吉田兼見やイエズス会宣教師のルイス・フロイスが、この天守について壮大なものであったと書き記している。
- 天正2年(1574年)、足利義昭が織田信長に挙兵した「槇島城の戦い」において、義昭とともに敗北した三淵藤英(みつぶち・ふじひで)が坂本城に預けられ自害。
- 天正10年(1582年)、「本能寺の変」「山崎の戦い」が勃発。光秀は山崎での敗北後、坂本城へと敗走する途中に落ち武者狩りによって命を落とした。
- 山崎での敗戦を知った光秀の家臣・明智秀満は、「本能寺の変」で手に入れた安土城から坂本城へと移り、光秀の家族と自身の家族を殺害、城に火を放って自害した。
- 「本能寺の変」後は丹羽長秀が新たに坂本城主となり、城を再建。その後は杉原家次、浅野長政と短い期間に城主が変わっていった。
- 天正14年(1586年)、長政が大津城を築城、居城を移したため廃城となった。資材は大津城に流用されたという。
- 現在、城の大部分は宅地化され、当時の様子をうかがい知ることはできない。
見どころ・おすすめ
- 光秀像-公園北側には光秀の石像が立っている。
- 石垣-石垣が湖底に沈んでおり、水位が下がったときに見られるという。
- 西教寺-坂本城の北にある西教寺の総門は、坂本城から移築されたものと伝わる。
- 坂本城の西側、二の丸跡にも「坂本城址」と書かれた石碑が立てられている。
史跡情報
地図 |
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【場所】 滋賀県大津市下阪本 【付近の史跡】
[ 南西・約5km ] 大津城跡
[ 西・約5km ] 千種忠顕戦死之地
[ 南西・約6km ] 園城寺(三井寺)
[ 西・約6km ] 水飲対陣之跡(延元の乱)
[ 南・約7km ] 膳所城跡
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主な施設 |
石垣・明智光秀像 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・京阪電車「松ノ馬場」駅から約1.3Km ・JR「比叡山坂本」駅から約1.6Km 【バス】 ・江若交通バス「石川町」「下阪本」バス停 【マイカー】 ・湖西道路「下坂本IC」から約1.5Km ・駐車場あり |