仙洞御所・大宮御所・豊臣秀吉京都新城跡(京都御苑) | 場所と地図 – 歴史のあと

仙洞御所・大宮御所・豊臣秀吉京都新城跡(京都御苑)

京都御苑 京跡・宮跡
京都御苑
ジャンル:京跡・宮跡/邸宅・住居跡
史跡年代:安土桃山時代 ー 江戸時代/江戸時代 ー

京都府京都市京都御苑内にある江戸時代初期に造営された御所。豊臣秀吉が晩年に築いた京都新城跡地でもある。

歴史・概略

  • 元々この場所には、豊臣秀吉が関白の政庁兼邸宅として建てた聚楽第を破却した後に、その代わりとした邸宅があった。この屋敷は太閤上京屋敷や太閤御屋敷、太閤御所、京の城などと呼ばれ、現代では京都新城と呼ぶのが一般的である。
  • この場所は、御堂関白と呼ばれた平安時代の公卿・藤原道長の屋敷であった土御門殿があったあたりであり、秀吉はあえてこの場所を選んだともいわれる。
  • 慶長2年(1597年)の正月に工事が開始され、半年ほどで完成した後は秀吉の嫡男・豊臣秀頼が移り住んでいる。ただし、翌年の慶長3年(1598年)秀吉が没した後、遺命により秀頼大阪城に移ったため、使用された期間はわずかである。
  • 慶長4年(1599年)、秀吉の正室・おね(高台院が大阪城西の丸を徳川家康に明け渡し、この屋敷に移り住んだ。そのため高台院屋敷とも呼ばれる。
  • 慶長5年(1600年)、関ケ原の戦い」の際、朝廷に近いこの場所が戦闘に利用されるのを防ぐため、屋敷の石垣や堀などが徹底的に破壊された。
  • 慶長10年(1605年)、高台院秀吉を弔うため京都東山に高台寺を建立、門前に屋敷を建て移り住んだ。
  • 寛永4年(1627年)、後水尾天皇が譲位の意向を示した際に、京都新城跡地に仙洞御所(せんとうごしょ)が造営された。仙洞御所とは譲位後の天皇の御所を意味する。
    建物は安政元年(1854年)の火災によって焼失し、その後は再建はされず庭園のみが残った。
  • 大宮御所は仙洞御所の北側に位置し、後水尾天皇の中宮であった東福門院のために造営されたことに始まる。今の建物は慶応3年(1867年)に造営されたものである。
  • 京都新城に関しては、使用期間がごくわずかであったこと、破壊されてしまったこと、跡地に仙洞御所が建てられたことなどから、遺構はほとんどない。さらに資料も少なく、その範囲や縄張りなども分かっていないが、最近石垣遺構が発掘され新たな発見に期待が持たれている。

見どころ・おすすめ

  • かつて存在していた宮家や公家屋敷の多くは、一部を残してほとんどが撤去されており、今は一年中草花が楽しめる公園として整備されている。
  • 京都御苑内は平安時代から幕末に至る屋敷跡が点在し、いたるところに説明書きの駒札が立てられているので、それを巡るだけでもかなり楽しめる。

史跡情報

地図
【場所】
京都府京都市上京区京都御苑
主な施設
大宮御所・庭園
利用時間
事前許可が必要(特別参観時は不要)
定休日
事前許可が必要(特別参観時は不要)
料金
無料
交通
【電車】
・地下鉄「丸太町」「今出川」駅
・京阪電車「神宮丸太町」「出町柳」駅

【バス】
・市バス「荒神口」「裁判所前」「府立医大病院前」「河原町丸太町」バス停

【マイカー】
・名神高速「京都南IC」から約9Km
・駐車場あり
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