豊臣秀吉が京都で政務を執るために築いた聚楽第近くにあった木村重成(きむら・しげなり)の屋敷跡。
歴史・概略
- 木村重成の父は豊臣秀次に仕えた木村重茲(きむら・しげこれ)で、秀次事件の際に一緒に罪を問われて自害、母と重成は逃亡した。その後許され、母は豊臣秀頼の乳母となり重成は秀頼の小姓として仕えたとされる。
- 重成は「大阪の陣」の際、豊臣方として少数の兵で徳川軍に立ち向かい、奮戦したのち戦死した。
- この場所の長門町の地名から、長門守であった重成を充てたと思われる。しかし、秀次事件で聚楽第が破却された文禄4年(1595年)当時、重成はまだ幼く(2歳くらい?)居館を構えていたとは考えにくい。よって、他の人物を充てる説もある。
見どころ・おすすめ
- 聚楽第に関する史跡はほとんど残っていないが、周辺には聚楽第跡碑や武家地跡碑、あるいは町名などが点在しているので、これらをまとめて回ってみるのがおすすめ。
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史跡情報
地図 |
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場所:京都府京都市上京区下立売通七本松東入る |
主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「二条」駅から約1Km ・地下鉄「二条」駅から約1Km 【バス】 ・市バス「丸太町七本松」「千本出水」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約8Km |