京都の花街「島原」の西側に建てられた門跡。
歴史・概略
- 寛永18年(1641年)、六条三筋町にあった傾城町が朱雀野と呼ばれたこのあたりに移転したことに始まる。正式には西新屋敷町というが、移転時に起こった騒動が当時九州で勃発した「島原の乱」を思わせたことから島原と呼ばれるようになったともいわれる。
幕末期には勤王の志士たちや新選組などが出入りしていたことでも知られる。 - 島原は壁や堀などで囲まれ出入り口は東門のみであったが、享保17年(1732年)に西門を設置、天保13年(1842年)にこの地に移った。しかし昭和、平成の交通事故によって倒壊し今は石碑のみが残っている。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市下京区西新屋敷下之町 【付近の史跡】
[ 南・約0.1km ] 東鴻臚館址(平安京)
[ 南東・約0.1km ] 角屋
[ 北・約0.2km ] 平安京朱雀大路跡
[ 南西・約0.6km ] 六条判官源為義公塚
[ 東・約0.6km ] 本圀寺跡(足利義昭御所)
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「丹波口」駅から約0.5Km ・阪急電車「大宮」駅から約1.7Km ・京福電車「四条大宮」駅から約1.7Km 【バス】 ・市バス「五条千本」「京都リサーチパーク前」バス停 【マイカー】 ・名神高速道路「京都南IC」から約6Km |